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『ルノワール展』へ

やっと行ってきました『ルノワール展』。会期終了間近ですが平日ということもあってか、入場待ち時間は10分ほど。


国立新美術館に来るのは実は初めて。横浜に住んでいて、しかも六本木は職場にも比較的近く、もっと早くに訪れることはできたはず。調べてみたら2007年に完成している建物ではないですか。そんなに時間が経っていたなんて…。正直、自分の出不精さ加減に、あらためて愕然としています。


さて、今日来ていたお客さんは82で(いや91かも)女性が多かったです。男性は皆、妻に連れられて来ている風な人がほとんど。私のように男一人、自らの意思で来ていそうなのは、ごく少数。ルノワール先生は圧倒的に女子に人気があるようです。


今回の展覧会は全部で103点の展示です。どの絵も柔らかく明るい色合いで心が和みます。最も幸福感満載だったのは『ピアノを弾く少女たち』、『田舎のダンス』。もちろん『ムーラン・ド・ラ・ギャレット』も。


女性を描いた作品の展示が多いこの展覧会。描かれている女性たちはみな頬紅を差したように(実際に差している人もいるでしょうが)血色が良く、ふくよかです。現代の女性が痩せ過ぎで不健康に思えてきます。


ルノワールの奥さんが長男に授乳している場面を描いた絵もありましたが、奥様もまたふくよかで、それに性格も見るからに明るそうな方。ルノワール自身、そういう女性がきっと好きだったんでしょうね。


音楽好きとしては、ワーグナーの肖像画にも興味を惹かれました。彼が亡くなる前年に描かれた絵。ワーグナー晩年の姿というと、いかにも厳格そうな顔をした例の写真が思い浮かびますが、ルノワールが描いたワーグナーは、どことなく可愛らしく優しそうに見えるから不思議です。


ところで一人で美術館にいると、他の人の会話が耳に入ってきてしまいます。その中から、いくつかピックアップしてご紹介しましょう。


(『ムーラン・ド・ラ・ギャレット』を目にして)

A男「これなあに?」

B子「お祭りよ、お祭り。ほら後ろのほう見てよ」

私「(ダンスホール兼酒場ですよ)」


(次男ジャン・ルノワールの映画のワンシーンが映し出されるのを目にして)

C子「ああ、さっきの踊りの場面を再現したビデオね~(素通り)」

私「(次男が作った映画ですよ)」


(裸婦が描かれた作品を目にして)

D子「うわ~、すごいふくよかねえ」

E男「当時はこれが美しかったんだよ」

私「(ふくよかな女性が好きな男は今でもいますよ)」


なんて感じで軽くツッコミを入れながら観ることができるのも、おひとりさま美術鑑賞の醍醐味のひとつでしょうか(笑)


正直、昔の私はルノワールの画風を特に好んではいなかったのですが、彼のある言葉を目にして以来、親近感が増していました。それはこんな言葉です。


「芸術が愛らしいものであってなぜいけないんだ。世の中は不愉快なことだらけじゃないか」


私はこのルノワールの言葉に深くうなずいてしまいました。それで彼に対する印象も少し変わっていったのです。私自身はシリアスなアートも好きなんですが、みんながシリアスな芸術を作る必要なんて、もちろんありません。そして、たしかに世の中は不愉快なことだらけです。


今回の展覧会では、ゴッホやマティス、それにピカソの作品なども一部展示されているのですが、ルノワールの作品群の中にそれらの作品が紛れ込んでいると、どこか場違いというか、「そんなに深刻にならなくても」と言いたくなってしまうんですね(もちろんシリアスな作品には、それならではの面白さがありますが)。思わずそんな気持ちにさせられるような、柔和で優しい雰囲気に包まれた展覧会です。


ルノワールの、ある種、享楽的で現世肯定的な世界観は、日々の仕事で疲れている私には、とても心地よく感じられます。それは多くの現代人に癒しを与えてくれるアートに違いありません。


会期は残り数日となりましたが、まだご覧になっていない方は是非足を運んでみてください。理屈抜きにリラックスして楽しめるハッピーな時間が過ごせるはずです。お薦めします。


by raccocin | 2016-08-16 18:29 | 映画にアートにいろいろ鑑賞

『バードマン』を観て思うこと

先日、映画『バードマン あるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡)』を観てきた。それこそ公開終了間際の時期に、慌てて映画館に駆け込んだ。というのも、たまたま買った『ポパイ』誌上で、菊地成孔がこの作品を絶賛していたからだ。

菊地氏によると、この作品は「映画史を更新させるような大傑作」であり、「アートとエンターテインメントを見事に融合したネクストレベルの映画」だという。私は特に菊地成孔のファンでも何でもないけれど、年間200本以上(!)映画を観ているという人がそこまで言うのだから、まあ観ておいて損はなかろう、いや、観ておかないと後悔するのではないかという予感がした。私は基本的にへそ曲がりだが、その道に詳しい人の言うことを素直に聞く気持ちはちゃんと持っているのである(笑)

さて、肝心の感想だ。観終わって感じたのは、これは一筋縄ではいかない作品だな、ということ。いろんな角度から楽しめるようになっていて、2度3度と繰り返し観たくなるタイプの映画。と言っても、1度観ただけでは理解できないから2度観たくなるというのとは違って、1度目には見逃していた面白さが絶対にあるはずで、それを今度は見つけたい、というような気持ちになるのだ。

この作品、タイトルだけ見る分には小難しいアート系の映画のような印象だし、実際、十分に芸術性も持っているのだけれど、一方で娯楽性もしっかり確保されていて、そこはやっぱりハリウッド。観ている最中から、「やっぱりハリウッドってスゲエなあ、こんな映画作っちゃうんだから」と私も感心しきりだった。

感心と言えば、あちこちで言われているこの映画の特徴のひとつに、カメラの長回しがある。「全編1カット撮影かと見紛う」という触れ込みで、多くの映画ファンは、そのことに大いに感心しているらしい。たしかに、場面転換するときも、場面と場面はシームレスにつながっていく。

しかし、正直に告白すると、私はこの長回しには興味があまり湧かなかった。他の映画とは違った、とても高度な技術を用いているのだろうなあとは思うけれど、長く回せば回すほど良い映画になるというわけでもあるまい。まあ、これは単に私が撮影技術に興味が薄いというだけで、本当はスゴいことなんでしょうけど。

余談だが、思わず笑ってしまったのが大島優子のツイートだ(4/29)。
「1シーン1カットで続いていくようなカメラワークに一息つく暇なく終わりました」なんて言っている。あの〜大島さん、「1シーン1カット」じゃなくて、「全編1カット」なんですけど…。「1シーン1カット」だったら、他の映画でも探せばたくさんあるでしょう(笑)

さて、撮影技術にはさほど感心しなかった私が、一体この映画のどんなところに感心したかというと、なんと言っても役者と脚本である。

当たり前だけど、特に主役のマイケル・キートンが素晴らしい。私はこの人に対して「昔バットマンをやっていた人」という印象しか持っていなかった。でも本作での彼の演技は、どこか淡々としていながらも、主人公の揺れ動く心情をリアルに演じていて、こんなに良い役者さんだったのかと、自らの不明を恥じたところである。まさしく、無知がもたらす予期せぬ奇跡、というか感動である。

他には主人公の娘を演じていたエマ・ストーンも魅力的。すごく目力があるのに、うっとうしくなくて可愛いのだ。こんな娘にマネジメントされるお父さんは幸せである。エドワード・ノートンと簡単にヤッてしまったのはマイナス10点だが(笑)

そのエドワード・ノートンも、自分の才能に自惚れまくりのイヤミな伊達男を好演、ナオミ・ワッツはいつもどおりだけど上手い。他にも、出てくる役者さんがみんな個性的で、一癖ある演劇人たちの姿を活き活きと演じている。

そして脚本である。この作品には、思わず暗唱したくなるような魅力的な台詞が満載だった。うろ覚えで申し訳ないけれど、いくつか印象に残ったものを挙げさせてもらおう(あくまでもうろ覚えなので、一字一句脚本どおりではありません)。


主人公の娘
「ブログもツイッターもフェイスブックもやらない。パパは世間から見たら存在しないのと同じよ」

主人公
「どんな人生経験を積めば批評家になれるのかな。あんたは批評するだけ。何の代償も払わない。俺は(fu○kin')役者だ。この芝居にすべてを賭けてる」

主人公
「このクソ批評を、しわしわのケツの穴に突っ込んどけ」

演劇批評家
「私は、あなたたち映画人が大嫌いなのよ。週末の興行成績だけが評価でしょ」

バードマン
「観客が求めてるのは血とアクションだ。しゃべりまくる重苦しい芝居じゃない」


他にも面白い台詞がたくさんあったはず。相手を罵るときの言葉の豊かさなども楽しい。村上春樹が以前、日本語は人を罵る言い方が少ないから、外国語の小説を訳すときに困る、というようなことを書いていた。その点、この作品は人を罵ったり揶揄したりする言い方も気が利いていて、楽しめてしまう。

さて、この作品に通底しているテーマは何かと言えば、「娯楽か、芸術か」という、おそらく映画の世界で働く人たちは常に考えているであろう大命題だろう。

主人公は、自らが役者を志すきっかけにもなったレイモンド・カーヴァーの小説を舞台化し、そこに全精力を注ぎ込もうとする。しかし、自らが過去に演じたバードマンの幻影が頻繁に現れて、もっと大衆が喜ぶ娯楽映画に出ろと、主人公の耳元でささやく。

カーヴァーの小説を基にした演劇という「芸術」と、バードマン=映画という「娯楽」との間で、主人公の心は揺れ動く。それは、ハリウッドの映画人たちの姿そのものではないのだろうか。

上に挙げた演劇批評家の台詞のように、週末の興行成績だけで評価されることなど不本意だと思いつつも、娯楽映画を作って観客を大いに楽しませたいという気持ちもある。「しゃべりまくる重苦しい芝居なんかより、映画のほうが楽しいぜ」という自負。そして、「映画は芸術にもなれるのだ」という誇り。

この作品は、「娯楽と芸術」という一見相反するようにも思えるものを、いかに高いレベルで両立させるかという実験であるように感じられた。もちろん、そうした実験は今までにもたくさんあったのだろう。しかし、その困難な実験が、これほどの大成功を収めたことは、きっとなかったに違いない。菊地氏の「アートとエンターテインメントを見事に融合したネクストレベルの映画」という言葉は、まさしくこの映画の特長を端的に表している。

ところで、終盤、舞台の上でトランスフォーマーやスパイダーマンの着ぐるみを着た人物が、おどけたように踊るシーンがあった。イニャリトゥ監督がそれらの娯楽映画をバカにしているように見えなくもないシーンだったが、私はそうは受け取らなかった。むしろあれは、「これも映画、あれも映画」という、映画への大らかな愛情表現に思えた。

主人公がバードマンとして大空を舞う(スクリーンには映らないが)というエンディングは、辛口の批評家に舞台を絶賛されてもなお、映画人としての誇りを胸に生きていく主人公の決意の現れだろう。そして、イニャリトゥ監督から、映画づくりに携わるすべての人々へ向けて送られた、温かいエールなのだとも思う。


* まだ書き足りない気がするので、適宜追記するかもしれません。

by raccocin | 2015-05-24 12:34 | 映画にアートにいろいろ鑑賞

ヨコハマトリエンナーレ2014へ

ヨコハマトリエンナーレ2014(略してヨコトリ)に行ってきた。トリエンナーレ(triennale)とはイタリア語で、3年ごとに開かれる催し物のこと。ちなみに英語では何と言うのか調べてみたら、“triennial”(トライエニアル)というらしい。“tri”はもちろん「3」を意味するから、これを“bi”(「2」の意味)に変えれば、“biennale”(ビエンナーレ)となり、2年ごとに開かれる催し物の意になる。

私がこの現代アートの国際展に行ったのは、2005年が最初で最後。それ以来の訪問だから、実に9年ぶりのことになる。ほんとにご無沙汰してました。
せっかく地元横浜で、こんなに立派なアートのお祭りを開催してくれているのだから、やっぱり観ておかないと勿体ない気がする。過去2回はスルーしてしまったから反省である。今回の主会場は横浜美術館と新港ピアだが、時間もなかったので横浜美術館のほうだけ観てきた。

今回は息子と一緒に出かけた。息子を美術館に連れていくのは初めてだ。美術館の中で息子はちょこまか動き回るから大変だった。でも、これも経験。めげずに何度も連れていけば変わっていくだろう。

さて、このヨコトリ、やはり現代アートだからして、「こんなことやって何になるんだ」的な展示も多い。中にはバカバカしいものすらあるが、それも含めて楽しんでしまえばいいのだと思う。

いや、無理に楽しむ必要すらない気もする。日常的な感覚や常識と、現代アートとが接触するときに生じる違和感、疑問、軋轢。それらは、常識のぬるま湯にどっぷり浸かってふやけ切った精神と感性に乾布摩擦の刺激を与え、強制再起動を行ってくれるのかもしれない。


では、写真をいくつか撮ってきたのでご紹介。もちろん撮影が許可されたものです。
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マイケル・ランディ《アート・ビン》


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エドワード&ナンシー・キーンホルツ《ビッグ・ダブル・クロス》


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吉村益信《豚; pig' Lib;》


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家に帰ってきてから、息子に訊ねてみた。
「アートのお祭り、どうだった? また行きたい? もういい?」
「もういい」
「疲れちゃった?」
「疲れた」

でも、また行こうね。


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ちなみに、今度やるこの展覧会も必見である。

by raccocin | 2014-11-02 22:24 | 映画にアートにいろいろ鑑賞

『オール・ユー・ニード・イズ・キル』を観る(映画の中身より、タイトルやライトノベルの話がメイン)

先日、映画『オール・ユー・ニード・イズ・キル』を観てきた。一見して、ビートルズの“All You Need Is Love”をもじったのかと思わせる邦題である。原作は日本人の作家が書いたライトノベルで、そのタイトルがそのまま映画の邦題になっているらしい。

さて、このタイトルを見て多くの人が疑問に思ったに違いないのが、「“love”は名詞だからいいにしても、“kill”は動詞なんだから、“All You Need Is To Kill”と、Killを不定詞にしないと文法的におかしいんじゃないの?」というものだろう。やはり私も、その疑問を抱いたところだ。

初めは、これまた日本人お得意のデタラメ英語の邦題かと思ったのだが、手元の辞書で調べてみると、“kill”には、《不可算名詞 (俗語)人殺し(murder)》という意味が載っていた。私の英語力の貧しさがいとも簡単に明らかになったわけだが、そうすると、この邦題もあながち間違いとは言えないのだろうか。

ネットで見ると、同じ疑問を持つ人は他にもたくさんいるようで、この邦題が文法的に正しいのか否かについて、あちこちで議論がされている。
「この“kill”は名詞として使っているのだから問題ない」と簡潔に結論を出す人もいるし、中には話をゴチャゴチャ難しくしているだけにしか見えない人もいる。
“kill"を名詞として使っているのなら、たしかに文法的には問題ない気がするけれど、これが本当に自然な英語表現なのかという疑問は残ってしまう。

私が思うに、主演のトム・クルーズが日本に舞台挨拶に来たとき、「この邦題の英語って、ちょっと変じゃないですか?」と誰かがトムに質問してくれれば一番良かったのだが、誰もそのような質問はしてくれなかったようだ(笑)
字幕翻訳を担当した戸田奈津子氏はどう思っているのだろうか。ちょっと聞いてみたいところである。

ちなみに英語圏でのタイトルは、“Edge Of Tomorrow”だという。しかし、日本で公開するなら、『エッジ・オブ・トゥモロー』より『オール・ユー・ニード・イズ・キル』のほうが人気が出そうな気がしてしまうのも確かだ。それに、せっかく日本人の書いた小説がハリウッド映画の原作になるという快挙を成し遂げたのだから、どうせなら原作のタイトルを、そのまま映画の邦題にしたくなるのは当然だろう。

また悪い癖で話が逸れてしまった。肝心の映画の感想だ。

結論から言うと、なかなか面白い映画ではある。ただし、わざわざIMAX 3Dで2,300円かそこらを出してまで観る映画ではないと思う。私のように、フツーに2Dで観れば十分だろう。

それにしても、何回ピンチに陥っても、その度に死んでリセット、リセットの連続でやり直しがきくところなど、まさしくビデオゲームの世界そのものだ。そこのところを、いちいちバカらしいと思ってしまうと、この映画は楽しめなくなってしまう。しょせんはライトノベルが原作だから、まあいいか、と割り切って楽しむしかない。

正直に言って、私はライトノベルに対して何のリスペクトも持っていないから、この映画がちゃんと楽しめるようになっているのは、ハリウッドで働く優秀な脚本家の皆さんが、じっくり脚本を練り上げてくれているからなのだろうなあ、と映画を観ている最中から考えていたくらいだ。

まあ、ひとつもライトノベルを読んだことがないのだから、偏見と言えばそれまでなんだけど。じゃあ、お前が書いてみろ、とも言われそうだし。それと、この原作については筒井康隆も絶賛しているらしいから、きっとそれなりに優れたものなんだろう。でも、理屈大好きオヤジの私は、漫画のようにサラサラと読めてしまうような、分かりやすくて軽い小説には興味が湧かないのだ。

なんて言っていると、私の好きな村上春樹についても、ネット上では「ラノベ作家」などと言う人達がいるからズッコケてしまう。どこをどう読めば、春樹がラノベ作家になってしまうのか皆目見当が付かない。それとも、ライトノベルの愛読者にそう感じさせる何かが、春樹の中にはあるということなのだろうか。ライトノベルを読んだことのない私には、両者を比較することはできないのだが。

そもそも、「村上春樹=ラノベ作家」説を唱える人達の中には、「私はライトノベルも春樹さんも両方好きだ」と思って言っている人と、「ライトノベルに毛が生えた程度の春樹が、ライトノベルより遥かに偉いものとして扱われているのは変だ」と思って言っている人と、二通りありそうだ。

いずれにしても、どうしてそういう風に言う人達がいるのか、いくつかライトノベルを読んでみると分かるのかもしれない。まあ、そんな暇があったら、他に読みたい小説がたくさんあるから、これは当分先の研究テーマになってしまいそうだけど。そのうちにね。

by raccocin | 2014-07-26 21:50 | 映画にアートにいろいろ鑑賞

傑作ホラー『サスペリア』を劇場で鑑賞@キネカ大森

先日、大森の小さな映画館で『サスペリア』を上映する(7/5)ことを知った。言わずと知れた、70年代ホラー映画の傑作である。「決してひとりでは見ないでください」というキャッチコピーは、それ自体が有名になったので覚えている人も多いだろう。

私は、『エクソシスト』(’73年)、『オーメン』(’76年)、そしてこの『サスペリア』(’77年)こそ、70年代の3大ホラー映画と呼ぶにふさわしいと思っている。77年にこの作品が公開されたとき、私はまだ小学校中学年だったから、劇場に足を運ぶことはなかったのだが、その後テレビで何度か観て、強烈な印象を受けていた。
そんな傑作ホラーのクラシックを劇場で鑑賞できる機会など滅多にないだろう。普段から出不精の私も、喜び勇んで大森まで出かけた次第なのだ。

で、このたび上映してくれたキネカ大森という映画館だが、なんと、西友大森店の中に入っているというので驚いた。スーパーの入った建物の中に映画館があるというのは不思議だ。

エレベーターの中には30年くらい前の新聞のコピーが貼ってあって、キネカ大森がオープンしたときの記事だった。それを読むと、どうやら、いわゆるシネコンの走りらしく、スクリーンは3つある。建物は古いが映画館の中は綺麗で、シートも比較的新しそうだった。

さて、肝心の『サスペリア』だ。この映画を特別に個性的なものにしている最大の要因は、現実にはありえないような極彩色の映像美と、ロックバンドのゴブリンが奏でるミステリアスかつグロテスクな音楽だろう。
ストーリーは、ものすごく簡単に言うと、ドイツのバレエ学校に留学してきたアメリカ人の若い娘が体験する恐怖、といったところ。全編を貫くキーワードは「魔女」である。ダリオ・アルジェント監督が構想した「魔女3部作」の1作目の作品となっている。

それにしても、この『サスペリア』は、上に書いた『エクソシスト』や『オーメン』とは良い対照を成す作品だ。
『エクソシスト』と『オーメン』は、ともにアメリカ映画で、その表現手法はあくまでもリアリズムが基調となっている。映像は格調高く落ち着いたトーンだし、俳優の演技もみな堂々としていて、ホラー映画という枠を取り払っても、優れた作品だと言えるだろう。なにしろ『オーメン』など、あのグレゴリー・ペックが主演なのだ。

それに対してイタリア映画の『サスペリア』ときたら、作品冒頭で、主人公が入学するバレエ学校に到着すると、その建物の外壁が、なんと真っ赤。いきなり非現実的な世界に引き込まれてしまう。
次に、バレエ学校から逃げ出した別の娘が助けを求めて逃げ込んだ館の内壁が、これまた赤くて怪しげな絵柄で飾られている。建物を見ているだけでも怖くなってしまうのだからスゴい。
他にも、どこからともなく赤や緑などの怪しい光が差し込んできて、その極彩色の映像美は独自の世界を築き上げている。

そして音楽がこれまた特筆すべきものである。と言っても、冷たい清らかさとグロテスクさが混在した印象の曲と、低音主体のいかにもおどろおどろしい曲の2曲がメインテーマで、他の曲はさほど記憶に残らない。それくらい、この2曲が強烈な印象を与えるのだが、それだけでも十分怖くなってしまうパワフルな音楽なのだ。

映画全体の印象としては、あくまでも正統派の演出でシリアスな恐怖を提示する『エクソシスト』と『オーメン』に対して、理論的な整合性はあまり重視せず、より感覚的で耽美的な恐怖に浸らせる『サスペリア』、と言えるだろう。

このあたりの違いは、アングロサクソンとラテンの気質の違いから来るのかもしれない。
『サスペリア』を観ていると、「ああ、やっぱりオペラの国のホラー映画だなあ」と思ってしまうのだ。すばらしく華麗で、いい意味でのハッタリというかケレン味があり、それがオペラ的に感じられるのである。
そう言えば、劇中で使われていた音楽に、オペラ歌手がおどろおどろしく歌い上げる恐怖、といった感じの曲もあったのを今思い出した。もしかしたらアルジェント監督自身、オペラが好きなのではないだろうか。

とにかく、傑作『サスペリア』を劇場の大画面で観ることができて、私は大満足である。素晴らしい企画を立ててくれたキングレコードとキネカ大森には心から感謝したい。
ところで、『サスペリア』は明日13日(日)にも上映される。そして、「魔女3部作」の完結編である『サスペリア・テルザ 最後の魔女』も明日上映されるというから、私もできたら観に行きたいと思っている。

この「夏のホラー秘宝まつり」は7月18日(金)までやっているので、ホラーファンは是非足を運んでほしい!

by raccocin | 2014-07-12 19:01 | 映画にアートにいろいろ鑑賞

ゴールデンウィークを振り返る スピーカー納品とかアンディ・ウォーホル展とか

このゴールデンウィークの休みは、いつものようにカレンダー通り。予想はしていたけれど、やっぱり4連休はあっという間だった。

3日はスピーカーの納品。前にも書いた、PIEGA Premium3.2である。
新品なので当たり前だが、まだまだ鳴り方が軽い。基本的には高域の純度が高い綺麗な音。低域も結構下まで伸びていると思う。ただ、中域の量感が控えめなせいか、ちょっとさっぱりし過ぎという感じがする。しかし、この辺はエージングが進めばどんどん良くなっていくだろうから、バンバンいろんな音楽をかけていこう。もう少し音がこなれてきたら、あらためて感想を書きたい。

4日はガス給湯器が壊れたので修理。3時間もかかったのでゲンナリした。しかし夜には『トランスフォーマー/リベンジ』を観て、スピーカーを強制エージング。 

5日は家でのんびりしたいと思ったのだが、鉛のように重い腰をエイヤッと持ち上げ、森美術館へ。前から絶対に行こうと思っていた『アンディ・ウォーホル展』を観るためだ。私など大して熱心なアートファンではないし、特段ポップアートが好きなわけでもないのだが、この人はやっぱりアート界のスーパースターだから是非観ておきたかったという、至極ミーハーな動機からである。

この日のお客さんは、私が普段行く美術展と比べると、若い人がとても多かった。やっぱり若い人はポップなものが好きなのだろうか。それと外国人、というか白人のお客さんも多めだった。 

それにしても、この展覧会は有名なキャンベル・スープやマリリン・モンローの肖像を初めとして、とにかくボリュームたっぷりだった。ひと通り見終えてお土産を買ったら3時間も過ぎていて、ちょっと疲れてしまった。私の前を歩いていた20代前半と思しきお姉ちゃんでさえ、「膝小僧、取れそう」と言っていたし。40代半ばの私の場合、後でしゃがんだら膝痛が(笑)

でも、キャンベル・スープにしろマリリンにしろ、こういう、特に意味が無さそうなものを繰り返し作るというウォーホルの姿勢は、とても面白いと思った。一つひとつは無意味と思える画像も、ズラッと並べられたのをじっと眺めていると、それぞれの文字や色彩の差異に目が行って、観る者はその中にスッポリと入り込んでしまうのだ。 

かつてウォーホルは、「なんでオリジナルじゃないといけないの? なんでノン・オリジナルじゃいけないんだ?」みたいなことを言ったらしい。
(But why should I be original? Why can’t I be non-original?)

しかし、このキャンベル・スープのシリーズなどは、一つ一つは単なる缶のコピーというノン・オリジナルなものでありながら、そこに小さな違いを与えてから(Chicken NoodleとかBeefとか)反復することによって、個々の作品の差異が明確に浮かび上がり、その結果、それらはみなオリジナルな存在になってしまうという逆説なのではないかと思う。 

モチーフに微妙な差異を与えて反復するという点では、ミニマリズムと共通するものがあるような気もする。そうやって考えると、例えばスティーヴ・ライヒの音楽なども、一種のポップアートと捉えることができるのだろうか。とかなんとか、他にも底の浅い考察をいろいろしてみたが、恥ずかしいから書かないでおこう。

ちなみに、お土産はクリアファイル2点(キャンベル・スープ、花)、キャンベル・スープのメモ、それにカーサ・ブルータスのウォーホル特集号のみ。Macintoshのリンゴ柄トートバッグには、かなり心惹かれたが、サイズが大き過ぎて出番が少なそうだからやめた。そう言えば、キャンベル・スープのマグカップも異様にデカくて買う気が失せた。これがアメリカン・サイズなのだろうか。
それから、私はキャンベル・スープのTシャツが欲しかったのだが、Tシャツはウォーホルの自画像のやつしかなかったので、がっかりした。キャンベル・スープかマリリンのTシャツを置いておいたらポンポン売れたはずなのに。 

6日、今度は食洗機が壊れたので修理。どうして、せっかくの連休だというのに、こんなに機械が壊れるんだろう。ツイテない。
だけど今の時代は、こうして機械が休日に突然壊れても、電話すればその日のうちに、または翌日くらいには来て直してくれるんだからいいよなあ、と感謝したのも事実。昔だったら翌週の平日がやってくるまで、じっと待たなければいけなかっただろう。

とまあ、こんな感じで、いろんな業者の出入りがあったから、いまひとつくつろげない連休になってしまった。でもスピーカーは無事入ったし、ウォーホル展だって、奥さんと子供を家に置いて1人で行かせてもらったのだから(!)、感謝しないといけない。 


* 土曜の夜にスピーカーが納品されたと思ったら、月曜の早朝に大きな地震が来たのでビックリして飛び起きた。慌ててスピーカーを確認しにいったが、無事だったので安心。やれやれ。

by raccocin | 2014-05-11 08:06 | 映画にアートにいろいろ鑑賞

謹賀新年

あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。

さて、年末年始の9連休も、今日で7日目が終了だ。あとはいつも通りの土日を過ごしたら、おしまいか。まだ2日残ってるけど、予想通り、あっという間だった。

この休みは、映画を観たり音楽聴いたりして楽しみたいと思っていたけれど、実を言うと映画はまだ1本も観ていない。音楽は、毎晩のように寝る前にヘッドフォンで聴いていたけれど。新しく買ったベイヤーダイナミックのDT250/80は、なかなかの素性の良さを感じさせてくれている。今後エージングが進めば、さらに良くなるだろうから期待している。

他には、意外とテレビを観て過ごすことが多かった。普段あまり観ることのない日本製ドラマ(『相棒』)や、ばかばかしいバラエティ番組を久々に楽しんで、これはこれで気分転換になったから良かったかな。

ところでドラマと言えば、去年の暮れにDlifeで放送された『アンダー・ザ・ドーム』の最終回にはズッコケた。あの終わり方はないでしょう。宙ぶらりんにも程があるというものだ。しかし、聞くところによるとシーズン2が企画されているそうだから、そちらにも期待してみよう。

さて、2日の午後3時45分頃にテレビをつけたら、Eテレで『世界が読む村上春樹〜境界を越える文学〜』という番組をやっていた。世界での春樹の受容のされ方などについて紹介する内容だったが、3時からの1時間番組なので、私が見始めたときには、ほとんど終わりかけていた。

私は春樹が好きなので、番組の存在を知っていたら絶対に初めから見ていたのに。こんな面白そうな番組をほとんど見逃したのは迂闊だった。

しかも、このときの放送は再放送で、初回は去年の暮れに放送していたらしい。なんで気付かなかったのかなあ。NHKさん、もう1回再放送してくれませんかね。
NHKは他にも興味深い番組をよく作ってくれるから、これからは毎日、番組表をチェックすることにしよう。

それにしても、この番組に出演していた綿矢りさ、作家とは思えぬ(?)可愛さで感心した。せっかくだから彼女の本を1冊買ってあげようか、なんてアホなことを考えたミーハーオヤジでした。

by raccocin | 2014-01-03 19:06 | 映画にアートにいろいろ鑑賞

『ゼロ・グラビティ』を観る

昨日、映画『ゼロ・グラビティ』を観てきた。ちなみに、この作品の原題はと言うと、“Gravity”。つまり、これも例によって原題の英語をちょこっといじったという妙な邦題なのだ。

“Transformers: Dark Of The Moon”は『トランスフォーマー/ダークサイド・ムーン』、“The Dark Knight Rises”は『ダークナイト ライジング』、そして“Gravity”は『ゼロ・グラビティ』。

これは一体何を意味しているんだろうね。原題の英語をいじって邦題にするというのが、日本の配給会社の皆さんの間で、今すごくクールだと思われているのか?

原題を訳すことによって、もっとイメージの湧きやすい日本語の邦題を作ってくれるというならともかく、あたかも初めから原題がそうであったかのような顔をした、こういう妙なカタカナ邦題は金輪際やめてほしいものだ。そんなことをするくらいなら、原題をそのままカタカナに置き換えてくれたほうが、ずっといい。

さて、肝心の映画の感想だが、事前の期待が大き過ぎたせいだろうか、なかなか楽しかったという程度に終わった。なんせ、この映画の公式サイトを覗いてみると、試写を観た人のコメントというコメントが、とにかく絶賛の嵐なのだ。そのせいで、ちょっと期待が高まり過ぎてしまったのかもしれない。ましてや、私はこういうSFサスペンスとかSFホラーの類いが大好きなのだ。

そんなわけで大満足とは行かなかったのだが、3Dで展開される広大な宇宙空間の表現は見事だったし、90分という短い時間に凝縮された緊迫感のあるドラマも見応えがあった。十分に楽しい時間を過ごさせてもらったから、ありがとうとは言いたい。サスペンス系の映画が好きな人なら、きっと楽しめると思う。

ところで、私は普段メガネをかけているのだが、メガネの上から3Dメガネをかけるのは鬱陶しいので、いつも3D映画を観るときだけはワンデイコンタクトをして出かけている。昨日もそうしたのだが、今回もらった3Dメガネは、なんとメガネの上からでもかけられるように形状が工夫してある代物だった。3Dメガネも知らぬ間に進化していたのだ。パッケージには“Designed for glasses wearer”と、しっかり書いてあった。

家に帰ると、早速メガネの上からこの3Dメガネをかけてみたが、たしかに何の違和感もなくメガネの外側にしっくり収まるようになっていたので驚いた。長生きはするものです。3D映画のためにワンデイコンタクトを買っておく必要はなくなっちゃったな。

by raccocin | 2013-12-15 23:19 | 映画にアートにいろいろ鑑賞

ささやかな夏休みを振り返る

10日から13日まで、ささやかな4連休の夏休みを取ったので、メモも兼ねて書いておこう。

10日の土曜日は、いつも通り掃除などをした。11日は、待ちに待ったゾンビ映画『ワールド・ウォーZ』を、みなとみらいで鑑賞。

しかし、事前の期待感が大き過ぎたのもあって、まあまあかな、という程度の感想を持ってしまった。ゾンビが人を襲うシーンにも残虐性はほとんど感じられず、たいして怖くないし、今時のゾンビは足が速いなあ、とのんびり感心しながら観る余裕があったくらいだ。ドラマ全体に漂う緊迫感もほどほどだ。それと、小説が原作の映画って、原作を読まずに観ていても、やっぱりどこか無理して端折っている感じがすることがあるが、この作品もそうだった。

ジャンルとしては、ホラーとかゾンビとか言うよりも、ウィルス感染モノと捉えるのが妥当という気がした。しかし、それならば、いつかビデオで観た『コンテイジョン』のほうが遥かに緊迫感があって、秀作と言えるだろう。でもまあ、この手の映画が好きな人なら、ちゃんと楽しめること請け合いです。なんだかんだで、それなりに楽しい時間を過ごせたから良しとしよう。

さて、映画が終わった後、横浜駅まで歩いて行ったら、この日はとにかく異常なまでの暑さ。熱気で肌がほとんど痛いくらいで、頭がどうかしそうになった。本当は、久々にコメダ珈琲店に行きたかったのだが、あそこまで更に歩いて行くのかと思うと、気が遠くなってしまい断念(それくらい暑かったのだ)。

で、ルミネの中のスープストックトーキョーに入り、ヴィシソワーズを飲んで涼を得た。冷たいスープっていうのも、なかなか旨いものですね。

家でも作れないかと思ったが、じゃがいもとタマネギの味がするところから考えるに、じゃがいもを茹でて裏ごししないといけなそうだし、タマネギは一体どうすればいいのだろう、などと想像しているうちに、またもや気が遠くなってしまった。私はめんどくさがり屋なのだ。お店の人が作ってくれたのを、たまに飲めばいいやと、いとも簡単に諦めた。スープを飲んだ後は、有隣堂で『ゲーテの警告』を買ったりした。

12日は、息子を八景島シーパラダイスに連れていった。いろんな魚を見て楽しんでもらおうと思ったのだが、息子は何を見てもつまらなそうにしていた。このあいだ連れていったズーラシアのときもつまらなそうだったし、どうもうちの子は、何かが展示されているのを見るのが好きではないようだ。もうちょっと大きくなれば変わるのかな。これにめげず、またどこかに連れていってあげよう。

13日は奥さんが用事で出かけたので、家で息子と一緒にお留守番。それから、息子と散歩に出かけた。家の近所を散歩しているときのほうが、動物園や水族館より、よっぽど楽しそうにしているんだからなあ。

さて、これで念願の『ワールド・ウォーZ』は観られたけど、まだ『パシフィック・リム』を観ないといけない。ギレルモ・デル・トロ監督が作った怪獣映画で、またもや人類滅亡モノ。最近、人類滅亡モノの映画がやけに増えていると思うが、どうしてなんだろう。みんな、そんなに滅亡したいのだろうか。

ところで、このギレルモ監督の『パンズ・ラビリンス』は大傑作なので、まだ観てない人は必ず観てくださいね。絶対に損はさせません。ほんとに。
by raccocin | 2013-08-25 22:26 | 映画にアートにいろいろ鑑賞

『ワールド・ウォーZ』のZの読み方って

前から楽しみにしている映画、『ワールド・ウォーZ』が、いよいよ来週10日(土)から始まる。ブラッド・ピットが製作、自ら主演するゾンビ映画である。ベストセラー小説が原作で、映画化の権利を巡っては、レオナルド・ディカプリオとブラピが争奪戦を繰り広げたらしい。

私は特にゾンビ映画が好きというわけではないのだが、基本的にホラー映画が好きだし、何と言ってもブラピとディカプリオがそろって映画化を強く望んだというだけでも、これは文句なく楽しめる大作ゾンビ映画に違いないと確信している。早く来週の土曜が来ないかと待ち遠しいところだ。

ところで、この映画のタイトル『ワールド・ウォーZ』であるが、日本の配給会社が、これをお客さんにどう読ませるかということに私は興味があった。つまりは、“Z”の読み方である。アメリカ映画なのだから、ここはやはり正しく「ズィー」と読ませるか、それとも日本の慣習に従って「ゼット」と読ませるのか。

それで、この「ゼット」という読み方、いったいどこの国の発音なのだろうと思ってウィキペディアで調べてみると、どうやらオランダ語の発音に一番近いようだ。なぜオランダ語なのか疑問に思ったが、そのことよりも私の関心を引きつけたのは、アメリカ以外の英語発音が[zɛd]となっていたことだ。

えっ、そうだっけ? 私はあわてて家にある辞書を引いてみた。すると、たしかにアメリカ発音は[ziː] で、イギリス発音は[zed]なのだと書いてある(我が家の辞書では、「エ」の音はɛではなくeとなっている)。私は軽い衝撃を受けてしまった。

アルファベットの読み方くらい、中学に入って英語を習う前からさすがに知っていたし、わざわざ調べた記憶もあまりない。それで私は今までずっと、“Z”はイギリスでもアメリカでも「ズィー」と読むのだと思い込んでいたのだ。

中学の英語の授業が始まったとき、まずはアルファベットの読み方を先生は教えてくれたはずだが、そのとき先生はイギリス発音とアメリカ発音のどちらで教えてくれたのだろう。私がずっと、「ズィー」が唯一の発音なのだと思い込んでいたことを考えると、やっぱりアメリカ発音で教えてくれたのだろうか。

とにかく、アルファベットの読み方という、ごく基本的なところに誤解があったことに気付いた私は、ついでだからと、他にもイギリスとアメリカで発音が違うアルファベットがあるのかどうか、手元の辞書で調べてみた。

すると、なんと、もうひとつ見つけてしまった。知らないって怖いです。で、そのアルファベットとは、“R”である。
発音は、イギリスでは[ɑː]、アメリカでは[ɑːr]となっている。無理矢理カタカナで書くなら、イギリスは「アー」、アメリカは「アール」(ルと言うほどの音では、もちろんないけれど)。

こういう、伸ばした音の次に来る“R”の音って、イギリスでは発音しないんだってね。いつだったかピーター・バラカンが言っていたが、“door”という単語、これもイギリスでは「ドー」と読む。例えばロックバンドの“The Doors”も、「ザ・ドーズ」とイギリス人は発音するわけだ。

あるとき、ピーター氏が音楽について日本人と話しているとき、彼がイギリス流に「ザ・ドーズ」と言ったところ、当然のことながら日本人には通じなかったという。日本では、このバンドは「ドアーズ」だからだ。しかし、そのうち日本人も何のことを言っているのか察して、「ああ、ドアーズのこと?」と言ったらしい。ピーター氏は、すごく気分が悪かったと話していた。

あのバンドはアメリカのバンドだから、アメリカ式発音で言うのはいいにしても、それにしたって「ドアーズ」ではないからなあ。英語のネイティブであるピーター氏が由緒正しき英国式発音をしているのに、でたらめな発音をしている日本人からそんな風に言われたら、ムッとするのも無理はない。

おっと、話がそれてしまった。結局のところ、日本で“Z”を「ゼット」と読むのは、イギリス発音の「ゼッド」が少し訛って、それが定着してしまったのかもしれない。もちろん、これは私の推測で、本当は違うのかもしれないけど、そこまで調べる時間はないので、あしからず。それにしても、どうしてイギリスの「ゼッド」が、アメリカに渡ったら「ズィー」になってしまったのだろう。

さて、とにかく肝心の、この映画タイトルに含まれる“Z”の読ませ方の話だ。

既にテレビCMが始まっているので確認してみたら、「ワールド・ウォー・ゼット」だった。やっぱりね。でも、そっちのほうが日本人にはしっくり来て良いような気がする。

だいたい、映画のチケットを買うとき、「ワールド・ウォー・ズィーください」って言うの、ちょっと気恥ずかしいものね。



* 最後まで書いてから、はたと気が付いて調べてみた。そうしたら原作は数年前に翻訳されていて、邦題は『ワールド・ウォー・ゼット』なんだって。じゃあ、原作に合わせるという意味でも、映画もゼットにするよなあ。あれこれ考えるまでもなかったような。まあ、アルファベットについて考える時間は楽しかったから良いけどさ…。
by raccocin | 2013-08-03 15:54 | 映画にアートにいろいろ鑑賞


考えることが好きで、のんびり屋。5歳男児の父。音楽、映画、アート、コーヒー、それにワインを愛します。完全禁煙のお店も好き。


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