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内田光子withマーラー・チェンバー・オーケストラのコンサートへ

11月8日(火)、サントリーホールで内田光子withマーラー・チェンバー・オーケストラを聴いた。恥ずかしながら、サントリーホールに来ること自体がおそらく15年ぶりくらいで、その意味でも楽しみにしていたコンサートである。


元々、私は内田光子とジェフリー・テイトが組んだモーツァルトのピアノ協奏曲の一連の録音を愛聴していたせいもあり、これは是非とも生で彼女の演奏を聴いてみたいと思ったのだ。


さて、今回のプログラムは以下の通りである。


モーツァルト/ピアノ協奏曲第17番

バルトーク/弦楽のためのディヴェルティメント

(休憩)

モーツァルト/ピアノ協奏曲第25番


4日の金曜日には第19番と20番のコンサートがあり、もちろん週末のほうが翌日の仕事のことを考えずに済むので気楽なのだが、私は17番と25番の両曲がとても好きなので、あえて火曜日のこのプログラムを選んだのだった。


オーケストラの弦楽器は8、6、6、4、2。チェロとコントラバスは左手、そして第2ヴァイオリンを右手に持って来る配置だった。管楽器はフルート1、オーボエ2、ファゴット2、ホルン2が基本である。


舞台に登場した内田光子さんは、日本人であれくらいの年齢の方としては割と背丈がありそうな感じの、すらっとした人だった。


このオーケストラは初めて聴いたが、小編成オケらしくすっきりと引き締まった響き。音色も中辛口の白ワインといった感じだ。対する内田光子さんのピアノは、CDで聴くのと同様、清々しく凛とした音色で、タッチも明瞭そのもの。このオーケストラとの親和性はとても高い。


全体的にきびきびとしたテンポで、特に急速楽章では、時にやや走りがちに聴こえるくらいの若々しい推進力を聴かせてくれる。それは緩徐楽章でも活きていて、まったくダレることなく緊張感を維持した音楽が、淀みなく流れていく。


聴いていてふと感じたのは、「やっぱりこの人は日本人だな」ということ。英国暮らしが長くとも、この几帳面な緻密さは、どことなく日本人の基本的性質を思わせるところがあったのだ。


第17番と25番で、大きなイメージの違いは正直なところ感じなかった。25番は17番に比べれば、より大きなスケール感を出せる曲だと思うが、この日の演奏は一貫して、スケール感というよりも溌剌とした若々しさをより強く感じさせるものだった。


それからひとつ、2曲のモーツァルトの間に挟まれたバルトークも秀演だった。サントリーホールで、これほど辛口のキリッとした音を聴くのは私自身初めてだったが、その超辛口のサウンドでもって、生き生きとしたスリリングなバルトークを体験させてくれたのである。例えるならブリュットのスパークリングワインといったところである。


この日のマーラー・チェンバー・オーケストラは、「サントリーホール=暖色系で柔らかくリッチなサウンド」という私の固定観念を見事に打ち砕いてくれた。これは大きな収穫。


それにしても久方ぶりのサントリーホールは、築30年というのが信じられないくらい綺麗で、日頃の手入れの良さを感じさせてくれた。木を多用した暖かい雰囲気はやはり格別で、せっかく関東に住んでいるのだから、もっと聴きに来ないともったいないと思わされた次第である。


そして最後に、この日の聴衆の集中力は見事なものだった。しんと水を打ったように静まりかえり、演奏中の咳やくしゃみといったやむを得ない生理現象すら、ほとんど聞こえてこない。きっとみんな、この日に備えて体調を整えてきたのだろう。


熱心で民度の高い(笑)聴衆に囲まれて美しい音楽を聴くのは、とても気分が良かった。大変リッチな時間を過ごせました。


by raccocin | 2016-11-19 17:49 | 音楽とオーディオが好き

今まで行ったコンサートをすべて記録しておくエントリ

自分は今までどんなコンサートに行ってきたんだろう、全部記録しておけばよかったなあという思いが、なぜか最近頭をよぎる。

そこで、過去に行ったコンサートをすべて思い出そうとがんばってみた。
もう忘れてしまっているものもあるかもしれないけれど、ほとんど思い出せたはずだ(たぶん)。

(* このエントリを初めに投稿した2010年7月以降のコンサートも順次追加していく。つまり、このエントリを私の一生涯のコンサート・リストにするのだ。 2015年1月11日追記)

ではとりあえず、以下にジャンル別に書いてみよう。

日時まで覚えていないものが多いので、必ずしも時系列に沿った記載ではないけれど、調べてわかったものについては年月も記載した。いっぺんに調べるのが面倒なので、気が向いたらボチボチ調べて追記していこう。

ひょっとしたら曲目が間違っているものもあるかもしれない。なんせ20年前からの記憶を掘り起こしたのだから。

クラシックがやけに多いが、その理由は、比較的コンサートに行く頻度が高かった20代から30代前半の時期に、私がクラシック音楽をよく聴いていたからである。ちなみに、10代の頃は洋楽ロック&ポップばかり聴いていた。

今の私は、主として洋楽ロック、ジャズ、クラシックの3つのジャンルを、ほぼ均等に聴いている。これらの間を行ったり来たりするのが楽しいのだ。


《クラシック》
◎ブラームス/ピアノ協奏曲第1番&交響曲第1番
エリザベート・レオンスカヤ(p)/ホルスト・シュタイン指揮/バンベルク交響楽団
サントリーホール
1990年4月28日

私が自分のお金で初めて行ったコンサート。1990年春、私はまだ21歳だった。
生のオーケストラが生み出す、暖かく分厚い響きに驚嘆したのを鮮明に覚えている。演奏も素晴らしかった。


◎ワーグナー:楽劇「さまよえるオランダ人」序曲
ムソルグスキー(ラヴェル編):組曲「展覧会の絵」
バーンスタイン:「ウエストサイド物語」より”シンフォニック・ダンス”
チャイコフスキー:幻想曲「フランチェスカ・ダ・リミニ」
マイケル・ティルソン・トーマス指揮/ロンドン交響楽団(スペシャル公演:PMFO合同)
横浜アリーナ
1990年7月15日

このコンサートのことはすっかり忘れていた。2015年10月の今、ひょんなことで思い出し、やっと追記している。

このロンドン響のコンサート、本当なら指揮者はバーンスタインが務めるはずだった。しかし、彼は7月10日と12日の2公演を振ったところで体調を崩し、急遽米国へ帰国してしまったのだ。そこで代役を務めたのがティルソン・トーマスだった。

横浜アリーナという、クラシックのコンサートをやるにはどうかなあという会場ではあったけれど、あのバーンスタインの音楽が聴けると思ってとても楽しみにしていた。ところが会場へ行ってみると、目に飛び込んできたのは「バーンスタイン氏は体調不良のため帰国した」旨の看板。周りにいた人たちも、「なんだよ〜」とガッカリしていた。もちろん私もだ。ただし、この日のチケットは、たしか何かの懸賞で当たったタダ券で、懐が痛んでいない分ダメージは軽かったような気がする(笑)

かなり記憶がおぼろげだけれど、横浜アリーナという大きめの器だからといってPAは使っていなかったはず。しかしその分、音量は不足していた。響きの質に至っては、まあアリーナだから、という感じ。座席からして野球場のような椅子で、とてもクラシックを聴くようなところではないのだ。どんな演奏だったかも、ほとんど覚えていない。

結局、帰国直後の7月14日にバーンスタインは亡くなった(日本時間の15日にこのコンサートは行われていて、この時点では彼が亡くなったという知らせは誰も聞いていなかったのではないだろうか)。もう一方の雄というべきカラヤンも、前年の89年に亡くなっている。私がクラシックを聴き始めた翌年のことだ。カラヤンもバーンスタインも生で聴くことができなかったのは、本当に心残りである。

ついでに言うと、さらに翌年の91年にはマイルス・デイヴィスも亡くなっている。もうちょっと早くクラシックやジャズを聴き始めていたら、カラヤンもバーンスタインもマイルスも、みんな生で聴けていたのかもしれないと思うと、なんともやるせない気持ちになる。

それにしても、この1990年前後というのは歴史の転換点だった。89年夏に美空ひばりとカラヤンが相次いで死去、さらにベルリンの壁が崩壊し、米ソが冷戦終結を宣言。90年にはバーンスタイン死去、91年にはマイルス・デイヴィス死去、そしてソ連邦の崩壊。むろん音楽家の死と国際社会の激動との間に何の関係もないが、たしかに「ひとつの時代が終わった」と、誰もが思わされた日々だった。


◎マーラー/交響曲第9番
ジュゼッペ・シノーポリ指揮/フィルハーモニア管弦楽団
東京芸術劇場
1990年11月25日

芸術劇場のこけら落とし公演。
シノーポリは情熱的に指揮していたが、演奏自体は荒っぽかったし、ホールのささくれ立ったような乾いた響きと相まって、まったく楽しめなかった。

それでも終演後の場内はスタンディング・オベーション。日本の聴衆のレベルの低さに落胆した。


◎ベートーヴェン/ピアノ協奏曲第2番
シューベルト/交響曲第9番「ザ・グレイト」
マレイ・ペライア(p)/クラウディオ・アバド指揮/ヨーロッパ室内管弦楽団
サントリーホール
1991年3月30日

ベルリン・フィルを振っているアバドの姿はついに見られずに終わったけれど、この若きオーケストラとの演奏は、細部まで明晰、きびきびとしてフレッシュな素晴らしいものだった。


◎ブラームス/交響曲第1番他
大友直人指揮/東京シティ・フィルハーモニック管弦楽団
東京芸術劇場
1991年?

前半は女性ピアニストが出ていたような気もする。なにかコンチェルトでもやったのだろうか。
女性奏者ばかりでパワー不足のオーケストラ。ホールの響きも痩せているように感じた。これ以来、私はこのホールを見限った。(そんなこと言わず、今度また行ってみよう。 2015年10月追記)


◎R.シュトラウス/交響詩「ドン・キホーテ」
ブラームス/交響曲第4番
アンドレ・プレヴィン指揮/ロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団
サントリーホール
1991年9月29日

プレヴィンらしい暖かく優しい演奏だった。ブラームスの第2楽章では涙が出そうになった。


◎ベートーヴェン/交響曲第5番&交響曲第1番or第2番(?)
ジョン・エリオット・ガーディナー指揮/オルケストル・レヴォリューショネル・エ・ロマンティーク
サントリーホール
1992年秋

たしか2階席の左側で聴いていた。あまり印象に残っていないところをみると、普通の演奏だったのだろう。


◎ストラヴィンスキー/ペトルーシュカ
チャイコフスキー/交響曲第6番「悲愴」
ゲオルク・ショルティ指揮/ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
神奈川県民ホール
1994年10月4日

初の生ウィーン・フィル。普通なら「ああ、憧れのウィーン・フィル初体験。思い切り感動してこよう!」というところかもしれないが、そこはへそ曲がりの私。

「たしかにCDだと良いけど、生演奏も良いのかどうか自分の耳で確かめてやる」くらいのものだった。生意気な若造です。

その結果は、彼らの抜群の上手さに圧倒されるしかなかった。
ショルティの、年齢(80代!)が信じられないくらい精力的な指揮のもと、一糸乱れぬ引き締まったアンサンブルを聴かせてくれた。


◎シューベルト/交響曲第8番「未完成」
ブラームス/交響曲第1番
ガリ・ベルティーニ指揮/シュトゥットガルト交響楽団
サントリーホール
1996年11月23日

ベルティーニが指揮中にコミカルな動きをしたのを見て、前方の列に座っていたおじさんが肩を揺すってウケていたのが記憶に残っている。


◎マーラー/交響曲第9番
ベルナルト・ハイティンク指揮/ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
サントリーホール
1997年10月15日

ハイティンクらしい演奏だった。
はったりは一切なし、自然かつスケールの大きな音楽である。ウィーン・フィルのもちっとした美音も存分に楽しめた。

◎ワーグナー/楽劇「ヴァルキューレ」
ダニエル・バレンボイム指揮/ベルリン国立歌劇場
NHKホール
1997年11月

私にとって唯一の生オペラ鑑賞。狭いピッチに押し込められたオーケストラの音は団子状態だったが、生で聴くオペラ歌手の声は強靭でありながら、とても滑らかなものだと知った。


◎ブラームス/交響曲第2番他
クリストフ・フォン・ドホナーニ/クリーヴランド管弦楽団
サントリーホール
1998年5月20日

CDで聴くこのコンビのサウンドは、ひんやり、カチッという印象だったが、実際の音は、それとは似ても似つかぬ暖かくて自然なものだった。録音だけでは、その音楽家のことを判断できないことをあらためて認識した。


◎マーラー/交響曲第5番他
ウラディーミル・アシュケナージ指揮/チェコ・フィルハーモニー管弦楽団
サントリーホール
1998年10月8日

ブラーヴォ! 厚く充実感のある成熟したサウンドに魅了された。演奏技術も非常に高く、大いに感心。アシュケナージの解釈がどうこういうより、とにかくオーケストラが素晴らしかった。特にプログラム後半のマーラーは圧倒的名演。


◎シューマン/交響曲第2番
ショスタコーヴィチ/交響曲第5番
リッカルド・ムーティ指揮/ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
サントリーホール
1999年3月16日

名門ウィーン・フィルだからということで行ってはみたものの、2曲ともあまり好きな曲ではなく、さほど楽しめなかった。2階席の後ろのほうだったので、音もまろやかすぎて不満。


◎R.シュトラウス/交響詩「ツァラトゥストラはかく語りき」
ブラームス/交響曲第4番
ヘルベルト・ブロムシュテット指揮/ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団
サントリーホール
1999年5月11日

いぶし銀のサウンドとかを期待して聴きに行ったはずだけど、うーん、どうだったかなあ。たぶん普通の演奏だったんだと思う。


◎シューベルト/交響曲第8番「未完成」
ブルックナー/交響曲第9番
ギュンター・ヴァント指揮/北ドイツ放送交響楽団
東京オペラシティ
2000年11月

ヴァントもブルックナーも実はたいして好きではない。ただ、老巨匠最後の来日コンサートになると思い、記念に行ってみた。

そういえば私の少し前の列に、以前上司だったS課長が座っていた。終演後のS課長はスタンディング・オベーション。普段は無表情な彼の嬉しそうな姿を初めて見た。音楽って素晴らしい。


◎バルトーク/「中国の不思議な役人」他
ピエール・ブレーズ指揮/ロンドン交響楽団
東京オペラシティ
2002年10月29日

調べてみるとこのプログラムのはずなんだけど、全然覚えていない。
ロンドン響って大したことないんだ、と思った記憶だけが残っている。

かつてこのオーケストラの音楽監督をしていたアバドは、マーラーの交響曲全集を録音するとき、手兵のロンドン響を使わず、ウィーン・フィルとシカゴ響を併用した。その理由が分かった気がした。


◎?/?
リッカルド・シャイー指揮/ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団
サントリーホール

正直、どんな演奏だったか、まったく覚えていない。曲目も思い出せず。


◎ブルックナー/交響曲第4番(?)
ラファエル・フリューベック・デ・ブルゴス指揮/なんとか管弦楽団
オーチャードホール

ブルックナーのシンフォニーをやったということしか覚えていない。オーケストラ名も思い出せず。とても退屈だった。なんで行ったんだろう。


◎バッハ/管弦楽組曲第4番他
トレヴァー・ピノック(指揮&cemb)/イングリッシュ・コンサート
カザルスホール

前半にヴァイオリン協奏曲を演奏したはず(曲目は失念)。しかしヴァイオリン・ソロとオーケストラのピッチが合っておらず、聴いていて気持ちが悪かった。楽章の合間に何度もピッチを直していたけれど、最後まで合わず。

後半最後の管弦楽組曲第4番は生き生きとした素晴らしい演奏だった。
全体の印象として、古楽器のオーケストラも意外に音量があるのだと感じた。生で聴くチェンバロは優雅で丸い音がした。


◎ベートーヴェン/ピアノソナタ第30番〜第32番
アルフレート・ブレンデル(p)
サントリーホール

1階席の後ろのほうで聴いたため、音量的に物足りなかった。ブレンデルがベートーヴェンの後期3大ソナタを演奏してくれるという素晴らしいコンサートなのに、どういう演奏だったか、よく覚えていない。

アンコールに私の好きなバッハのコラール・プレリュード『来たれ、異教徒の救い主よ』をやってくれた。


◎モーツァルト/ピアノソナタ第11番他(たしか、きらきら星変奏曲とか)
ブラームス/間奏曲 作品118-2
リスト/超絶技巧練習曲から数曲
イーヴォ・ポゴレリッチ(p)
サントリーホール

後半から美智子皇后と紀宮様がご登場。私のすぐ脇の通路をお通りになられた。後でワイドショーを見たら、私もバッチリ映っていた。ちなみに私、テレビにはこれを含めて4回映ったことがあります。全部ちらっとだけど。

やっぱりブラームスの間奏曲が最高。濃密でロマンティックな響きにしびれた。


◎ベートーヴェン/ピアノソナタ第14番「月光」他
エウゲニー・キーシン(p)
オーチャードホール

聴衆は圧倒的に女性多数だった。ポゴレリッチにもその傾向はあったけれど、キーシンのほうが、より女性が多かった。男の私から見ると、ポゴレリッチのほうが断然カッコいいと思うけどね。

キーシンの指は1本1本の独立性が高いというか、いかにも「指が回っている」という風に見えた。

ルックスが良くて若い男性ピアニストのコンサートで女性客が多いのは理解できるが、一般的に言っても、オーケストラのコンサートよりピアノ独奏のコンサートのほうが、女性客が明らかに多い。たぶん、ピアノ学習者とか教師が大勢来るせいだろう。


ナレク・アフナジャリャン(Vc)
武蔵野市民文化会館 小ホール
2012年4月21日

武蔵野文化事業団が主催する超リーズナブルなコンサート。友の会に入会すると、さらにおトクに(笑) ご近所の方は是非。


清水和音(p)
かなっくホール
2012年6月9日

ベートーヴェンも「展覧会の絵」も、きわめて明快かつ娯楽性の高い演奏で楽しませてくれた。


◎バルトーク/「ルーマニアのクリスマスの歌」、組曲「野外にて」他
デジュ・ラーンキ(p)
武蔵野市民文化会館 小ホール
2015年7月10日

これまた武蔵野文化事業団のコンサートだ。友の会に入っている友人に誘ってもらった。この日はオール・バルトーク・プログラム。初めて聴く曲ばかりだったけれど、多彩な表情が楽しめる選曲をしてくれていて、存分に楽しめた。

でも、開演前に大きめの声で会話している人を若いおねえさんが振り返ってキッと睨みつける場面とか、「座席、蹴らないでくださいよ」と後ろの席の人に向かって怒るおじさんとかを見かけるにつけ、「クラシックのコンサートって、なんかギスギスしてんなあ」とイヤになったのも事実。もっとリラックスして楽しめないものかな。


エリン・ウォール(Sop)/リリ・パーシキヴィ(Alt)/東京音楽大学(Cho)/パーヴォ・ヤルヴィ指揮/NHK交響楽団
NHKホール
2015年10月4日

2005年秋に聴いたエンニオ・モリコーネ指揮ローマシンフォニー以来の生オーケストラ鑑賞である。ちょうど10年ぶり。そんなに久しぶりとは、我ながら信じられない。そして恥ずかしながら、日本のオケを生で聴くのは、これがまだ2回目。

日本を代表するオーケストラの演奏は、ちゃんと上手かった。すっきりと垢抜けた響きで演奏される劇的なマーラーの世界。


エレーヌ・グリモー(p)
東京オペラシティ
2016年5月16日

前半は、彼女の"Water"というアルバムに収録された曲を中心に。ラヴェル『水の戯れ』、ドビュッシー『沈める寺』など水にまつわる曲たち。リッチで深みのある左手の和音に右手の洗練された華やかな音が重なり、フランス的な美を満喫。

後半はブラームスのソナタ。一転して、爆発的とも言えるエネルギーを感じさせる熱演。ピアノはやっぱり肉食の西洋人が発明した楽器なのだということをしみじみ実感。


内田光子withマーラー・チェンバー・オーケストラ
サントリーホール
20016年11月8日

サントリーホールに来るのは、なんと15年ぶりくらい…。
清々しく凛とした内田さんのピアノと、きりっと引き締まったオーケストラとの共演は若々しく溌剌としたものだった。

2曲のモーツァルトの間に置かれた『バルトーク/弦楽のためのディヴェルティメント』も秀演。



◎サー・アンドラーシュ・シフ

モーツァルト: ピアノ·ソナタ第17(16) 変ロ長調 K.57

ベートーヴェン: ピアノ·ソナタ第31 変イ長調 op.110

ハイドン: ピアノ·ソナタ ニ長調 Hob.XVI:51

シューベルト: ピアノ·ソナタ第20 イ長調 D959

2017321日 東京オペラシティ


シフが各国で開催してきた、名作曲家の後期ソナタを演奏する”Last Sonatas”。それが日本にやってきた形である。


ベートーヴェンとシューベルトに期待して行ったのだが、いざ聴いてみると、とりわけモーツァルトとハイドンに心奪われた。弾むように豊かな左手と、澄み切った音でよどみなく歌われる旋律。


正直に言うと、ここまでニュアンス豊かに弾ける人がいるものなのかと、私は驚いてしまった。何気ないフレーズにもデリケートな表情が満ちている。


アンコールも5曲と大盤振る舞い。「よっ、名人!」と思わず心の中で掛け声をかけてしまった。


*** クラシック 計30回 ***



《映画音楽》

エンニオ・モリコーネ指揮/ローマ・シンフォニー

東京国際フォーラム ホールA
2005年10月8日

モリコーネ先生が自作を自ら指揮して聴かせてくれるという夢のようなコンサート。
『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ』、『ミッション』、そしてアンコールの『ニュー・シネマ・パラダイス』。美しい夜でした。

婚約者(今の奥さん)の婚約指輪を銀座で注文して、その足で一緒に行ったこともあり、思い出のコンサート。

*** 映画音楽 計1回 ***


《ジャズ》
◎キース・ジャレット・トリオ
神奈川県民ホール
1996年

◎同
オーチャードホール
2001年4月23日&24日

◎同
東京文化会館
2001年4月30日

◎同
新宿厚生年金会館

◎同
オーチャードホール
2010年9月23日

◎キース・ジャレット(p)
東京文化会館
1999年

とにかく好きなんです、キースが。最近は、あまりに聴きすぎたせいで食傷気味なので、たまにしか聴かなくなったけれど。なんだかんだ言って、この人は稀有な音楽家です。


◎ホリー・コール
オーチャードホール

同期入社で音楽好きの女性を連れて2人で行った。
これを期に仲良くなればしめたもの、くらいに考えていたような気がする。でも、いつもクールな彼女は、コンサートが終わっても依然としてクールなままだった。


◎ジョン・ピザレリ&ハリー・アレン、ダイアン・シューア・トリオ他
ゆうぽうと

3つのグループが交代で出てくるという、ミックスあられのようなコンサート。
ピザレリ&アレンのリラックスした余裕の演奏が楽しかった。


◎大西順子トリオ
ブルーノート東京(2回?)

ブルーノートが移転する前に1回と、移転後にも1回行ったような気がする。
大好きな演奏者というわけでもないんだけど。一時期よくアルバムを聴いていた。


◎サイラス・チェスナット・トリオ
ブルーノート東京

これもまた、なんで行ったんだろ。アルバム1枚すら持ってないのに。
たまに見る楽器配置だけど、ピアノを客席から見て右手に置いていた。サイラスは背中を客席に向け、ピアノの前方が時計の2時くらいの方向を向いていた。他のプレイヤーが見えなくて弾きづらくないのかな。


◎ロン・カーター・カルテット
ブルーノート東京

パーカッションのおじさんが、とても楽しそうにやっていたのが印象に残っている。この頃の私は、ロン・カーターというベーシストが、あのマイルスと一緒にやっていた偉大な人なのだという認識が浅かったようで、しっかり身を入れて聴いていなかった気がする。今思い返すと実にもったいない。


◎エルヴィン・ジョーンズ・ジャズ・マシーン
ブルーノート東京

エルヴィン・ジョーンズは年齢が信じられないような圧倒的エネルギーでドラムスを叩きまくり、ほとんど暑苦しいくらいだった。でも偉大なドラマーを生で聴くことができて良かった。

3人の管楽器奏者が、おそろいのヨレヨレTシャツを着ているのがみっともなかった。もっとカッコいい服装でやってほしい。音楽家も芸人なのだから、外観は大事だ。


ブルーノート東京
2014年5月22日

前年のキース・ジャレット・トリオでの最後の来日公演を聴き逃した悔しさを晴らすために(?)行ってきた。若い2人と組んだトリオのせいか、近年のキースとの共演時よりも快活で開放的な演奏に感じた。

*** ジャズ 計15 回 ***


《ポップ/ロック》
◎アラニス・モリセット
東京国際フォーラム ホールA
2004年9月

36歳にして初のロック・コンサート。10代の頃からロックを聴いていたのにね。

ベースの音量ばかりが大きくて、ギターは聴き取りにくいし、ヴォーカルも存在感が薄かった。PAが悪いせいで音楽が楽しめないという悲しい体験。


◎アヴリル・ラヴィーン
日本武道館
2005年3月

実は私、一時期アヴリルが大好きだったのだ。3rdアルバムは能天気すぎてがっかりしたけれど、1st&2ndは今でも時々聴いている。

曲・歌唱力とも、実にしっかりしていて大人である。今度はまた、少し翳りのあるアルバムを作ってほしいものだ。この日のアヴリル嬢はドラムを叩いたりピアノソロに挑戦したりと、いろいろな姿で楽しませてくれた。


ザ・ポリス
東京ドーム
2008年2月14日

まさかポリスを生で聴ける日が来るとは!
とにかく一言、役者が違う。


TOKYO DOME CITY HALL
2014年11月24日

名盤『こわれもの』と『危機』をステージで完全再現というから、これは必聴と思って行ってきた。ポリス同様、腕利きたちが繰り広げる演奏は文句なく楽しい。スケール雄大で華麗な音の絵巻を心から堪能した。


◎シンディ・ローパー
日本武道館
2015年1月20日

私は80年代ロック&ポップで育ったから、今のうちに当時のスターを生で観ておいたら、いい思い出になるなあくらいの気持ちで行った。

感想を正直に言うと、「まあまあ」というところ。大好きな"Time After Time"だって、家でじっくり聴いているときのほうが心に染みる。ロックやポップスのライヴというのは、かなりの部分「お祭り」だと再認識した。生身のアーティストが動いているのを観て、みんなで盛り上がって楽しむものだ。

それにしても武道館という場所は、音楽用に作られていないのだから当たり前かもしれないが、音楽を気持ちよく楽しめるところではない。椅子は狭くて硬く、内部は実に殺風景。肝心の音もたいしたことはないから、さっぱり気持ちが盛り上がらない。今後二度と行くことはないだろう。


TOTO
パシフィコ横浜
2016年3月4日

座ってじっくり聴こうと思っていたら、のっけからみんな総立ちなのでアレッとなった。私は立ってノリながら聴く気など毛頭ないので、開始30分くらいから着席。なのでステージはほとんど見えず。

音圧ばかりデカくて演奏のニュアンスはほとんど聞こえない、ひどい音だった。ロックコンサートなんて、しばらく行きたくないとまで思ってしまった。


国際フォーラム ホールA
2016年4月13日

天下の名盤、"Pet Sounds"をビーチボーイズの中心メンバーであるブライアンさんがステージで再現してくださるというコンサート。いやもう、「素晴らしい」のひと言。

ポップそのものという生き生きとしたサウンドを堪能した。ホール全体にポジティブなエネルギーが満ち溢れているような感覚。稀有な体験をさせてもらった。

*** ポップ/ロック 計7回 ***


《総括》
26年間で50回くらい行っているから、平均すると年に2回。よく行っていた時期とそうでない時期が混在しているから、まあそんなものだろう。

ところで、このエントリをお読みいただいた方の中には、「感想読んでても、この人あんまり楽しんでないじゃん」と思った方もおられるかもしれない。

とにかく私は、家でくつろいで聴く再生音楽が大好きなのだ。そのせいで、生演奏には少し辛めの感想を述べがちになるところがあるのかもしれない。コンサートというのは、基本的にある種のお祭り、イベントのようなもので、そんなにしょっちゅう行く必要を感じないというのが正直なところである。

「やっぱり音楽は生演奏に限りますよ」と言う人は多いけれど、そういう風に感じるのは、ステレオから出るいい音を聴いたことがないせいもあるのだと思う。私はオーディオが大好きなのだが、家でちゃんとした音で音楽が聴けるというのは本当に素晴らしいことだ。

オーディオの技術は日々進んでいる。そんなにバカ高い製品を使わずとも、大人の音楽ファンが真剣に聴き込むに値するサウンドを、現代のオーディオ機器は鳴らしてくれる。もっと多くの人に、ちゃんとしたオーディオを使ってほしい。
一度それを手にしたら、私の言うことの意味をよく分かってもらえるはずだ。いいステレオとは、音楽ファンの生活の質を劇的に向上させる、すぐれて今日的な道具なのだ。

音楽が大好きだけど、もっぱらスマホやPCにイヤフォンやヘッドフォンをつないで聴いているあなた。ここは是非、思い切って30万円、できたら50万円くらいをステレオに使ってあげてみてください。

人生が3割増、いや、ひょっとすると5割増くらい楽しくなりますよ。これ、ホント。

by raccocin | 2016-11-19 17:06 | 音楽とオーディオが好き

エレーヌ・グリモーのコンサートへ

本当に久方ぶりのオペラシティへ。ここのコンサートホールに来るのは、調べてみたら、なんと2002年のブレーズ&ロンドン交響楽団のコンサート以来だった。大変ごぶさたしておりました。

いきなりの余談で申し訳ないが、オペラシティの下のレストラン街でご飯を食べようとしたら、「喫煙可」とか(恐怖の)「仕切り無し分煙」の店ばかり。数少ない「全席禁煙」の大戸屋で私は食べたが、こういう大きなビルくらいは、レストラン街全体を全席禁煙にしておいてほしいものだ。もうすぐオリンピックを開催する都市なんですよ、東京は。分かってんのかね。

さて、気を取り直してコンサートの話である。今回のコンサート、前半はグリモーさんの"Water"というアルバムに収録されている曲を中心に披露してくれた。ラヴェルの『水の戯れ』、リストの『エステ荘の噴水』、ドビュッシーの『沈める寺』など、水にちなんだ作品たちだ。

使用楽器は(例によって)スタインウェイ。深々とリッチに響く左手の和音の上に、透明感のあるキラキラした右手の高音部が重なって実に綺麗。特にトリルの軽やかで華のある響きは抜群に美しい。「うーん、フランス」という感じです。

後半はブラームスの2番のソナタ。こちらは打って変わって、左手の爆発的とも言えるパワフルな打鍵が印象的。たとえ単音でもグィーンと伸びやかで深い音を聴かせるのに感心。加えて右手も、やはり明るく華やかな響きなので、正直、強い音が連続する部分は少しうるさいと感じてしまったほど。

このきわめてエネルギッシュな演奏を聴いていると、「やっぱりピアノって、肉食の西洋人が自分たちの体に合わせて作った楽器なんだよなあ」と身も蓋もないことを考えてしまった。なんかこう、食ってるものが違うな、という感じだ。

私は一時期ピアノを習っていたのだが、「ああ、西洋人のような、もっと大きな手があったらどんなに良かったか」と、いったい何度ため息をついたことだろう。あらためて、ピアノは西洋人が発明した楽器なのだということを、しみじみ思ってしまった。

でも、例えばジェフ・ベックと一緒にやってるベースの女の子なんか小柄だし、実際に手も小さいらしいからね。手の小さいのを言い訳にしてちゃいけないんでしょうけど。

さて、実を言うとこの日のコンサート、ちょっとしたトラブルがあった。
私の左斜め前に座ったおじさんが、しょっちゅう頭を右に左に傾げながら聴くせいで、私は頻繁にステージが見えなくなるから、バシッと注意してやったのだが、おじさんが逆ギレ。私と言い合いになった。彼の同行者の友人が止めてくれなければ、きっと大喧嘩になっていただろう。

首のすわらない赤ん坊じゃないんだから、ビシッとまっすぐ座ってなさい、というのじゃ!

私はマナーの悪い人間に自分の生活権を侵されるのを極度に嫌う人間なので、ストレートに注意したけれど、言い返されるのが怖くて我慢してしまうクラシック音楽ファンの方も多いことだろう。まあ、実際こういう風にトラブルになってしまうと、結局コンサートは十分に楽しめなくなるから、注意するのも我慢するのも、どっちもどっちなのかなあ。

基本的には言ってあげたほうがいいと思うけれどね。だって誰かが注意しないと、これから後も、その人の近くに座った人たちは、ずっと迷惑を被り続けるわけでしょう。

クラシック音楽ファンの皆様。みんなのために、そして自分自身のために、マナーの悪い輩には勇気を持って注意してやりましょう。

さて、ちなみに、この日のグリモーさん、お召し物は上下黒のふわっとしたパンツスーツ。腕だけはシースルーになってるんだけど、長くて綺麗な腕が映えること。歩き方だって、ふわふわと雲の上を歩くような感じ。とってもエレガントでクールなグリモーさんでした。

by raccocin | 2016-05-16 23:59 | 音楽とオーディオが好き

我が家のCDリッピング リッパーのこととか、いろいろと

今、我が家では全部で700枚くらいあるCDをすべてリッピング(パソコンで読み込んでファイル化)するという仕事に取りかかっている最中である。最中と言っても、2010年にLINN MAJIK DS-Iを買ってから始めたわけで、もうじき6年にもなるわけだ。

たった700枚をリップするのに既に6年も要しているのだからお恥ずかしい限りだが、当初はとにかくリッピングが面倒くさくてたまらず、なかなか作業が進まなかった。去年あたりから、やっと本気になって加速しているのが実情なのである。土日にそれぞれ3枚ずつリップしていくと、ちょうどあと1年で終わりそうな残り枚数なので、なんとか今年中に終わらせるべく頑張りたい。

ところで先日、奥さんの持っているCD、”Nonsuch - XTC”のリッピングをしようとして、ディスクを取り出してみたら、盤面についた傷がすごくてビックリした。細かい傷がディスクのあちこちに、たくさん付いている。読み取りエラーが続出しそうな感じである。

まず予感として頭に浮かんだのは、「dBpowerampでリップしたら相当時間食うだろうな」ということ。実際、dBpowerampでリップしたら、1回目のPass 1でダメで、2回目のPass 2でもやっぱりダメだった。それで次には、”Re-Rip”という、今までに見たことのないフェーズに突入したのである。

「こりゃダメだ、この調子じゃ日が暮れちまう」と思った私は、リッピングをキャンセルして、今度はiTunesでリップすることにした。今までの経験からして、iTunesはいい意味で鷹揚というか、多少の傷があるディスクでもさほど長い時間をかけることなく読み込めていた感があったからだ。

すると、iTunesは期待に違わぬ仕事をしてくれた。70分収録されたアルバムを12分ほどで正常にリッピング終了である(この数か月後、バッファロー製の古い無線LANルータをAirMac ExtremeとAirMac Expressに買い換えたら、リッピングにかかる時間が劇的に短くなった ※)。

しかし、”Re-Rip”という新たな工程に進んでまで丁寧に作業しようとするdBpowerampと、傷のないきれいなディスクとたいして変わらない時間で作業を終えてしまうこのiTunesとの差は、一体何なのだろうということも考えさせられた。

これはまったく根拠のない想像ではあるけれど、iTunesの場合、読み込みエラーがかなりの頻度で発生していても、「ハイハイ、だいたい前後の文脈からしてこんなデータだろうから、いいようにエラー補正しときまっせ」という軽いノリで仕事をしているのではないかということ(笑)

まあ、iTunesでリップしたCDの音(ALAC)だって、別に悪いともなんとも思わないから気にしなくてもいいのかもしれない。ただ、たくさん傷が付いていてもいなくても、たいして変わらない時間でリッピングを終えてしまうというのは、いかがなものか。一瞬、「iTunesでリップしたCD、もういっぺんdBpowerampでやり直そうかな」という考えが頭をよぎったのは事実である。そんなことは気が遠くなるほど面倒だから、まずやり直しはしないけれど。

ところで、私が今まで使ってきたCDリッパーを記すと以下のとおりである。

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2010年
LINN MAJIK DS-IとQNAP TS-110 Turbo(500GB)を導入、リッピング開始(コンピュータはMacのラップトップ)。

・MAX (FLAC 圧縮率はデフォルト)
特に不満もなく使用(他のリッパーと比較したことがないので良いのかどうかわからない)。


2013年(?) 
・X Lossless Decoder (FLAC 圧縮率はデフォルト)
リッピングに時間がかかり過ぎることに辟易、短期間で見切りをつける。


2014年
・iTunes (ALAC) サクサク読み込んでくれるし音も悪くないので満足。


2015年
・dBpoweramp (FLAC 圧縮率はデフォルトのLossless Level 5)
リッピングの所用時間は許容範囲内で、タグも詳細かつ正確性もまずまず。カバーアートを自動で複数取得してくれるのも便利。

NASをQNAP HS-210Dに買い替え(1TB RAID1)
FLAC圧縮からFLAC非圧縮へ変更。
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dBpowerampでのリッピングを「FLAC圧縮(圧縮率はデフォルトのLossless Level 5)」から「FLAC非圧縮(Lossless Uncompressed)」に変更した理由には、NASの容量が大きくなったことがある。容量500GBのQNAP TS-110 Turboから、1TBの容量を持つ同社のHS-210Dに買い替えたことで、我が家にあるリッピングを終えていないCDをすべて非圧縮で取り込んだとしても、HDDの容量に余裕が見込めるようになったのだ。

試しにFLAC圧縮とFLAC非圧縮を同じ音源で聴き比べると、なんとも微妙な感じで、「言われてみれば非圧縮のほうがいいような気もするなあ、でも全然違わない気もするし…」といったところ。でも、とりあえずは非圧縮で取り込んでおけば、「もしかしたら非圧縮のほうが音が良かったかも」と余計な心配を後々しなくて済むだろう。精神衛生上、そのほうが大変よろしい。

圧縮と言っても、MP3やAACなどのように音質劣化を伴う「不可逆圧縮」と異なり、FLACやALACなどは元のデータを復元できる「可逆圧縮」なのだから、圧縮率によって音質が変わるというのは原理的にありえない気もする。しかし、そこはオーディオの世界。何があってもおかしくない(?)

CDが世に出る少し前、「デジタル信号は0と1の符号が並んでいるだけだから、どのメーカーのCDプレイヤーでも音は同じ」などという大ウソが流れていたのを、皆さんは覚えているだろうか。しかし蓋を開けてみれば、どのメーカーのプレイヤーも音は違っていた。それは決してアナログ信号を扱う領域における差異だけではなく、デジタル信号を扱う領域の差異でもあったはずだ。

現に、我が家のネットワーク・オーディオでも、LANケーブル1本を交換するだけで音は変わってしまう。私は専門家ではないので、なぜLANケーブルを変えると音が変わるのかを科学的に説明はできない。しかし、デジタルケーブルを交換すると音が変わるということは、私を含めて多くのオーディオ好きの体験上、間違いはない。

ネット上で、「LANケーブルで音が変わるなんてオカルト」というような意見を散見するが、あれは安価な装置で聴いているから違いが音に表れないだけで、少なくとも総額30万円程度のオーディオシステムで聴いたら、ほとんどの音楽ファンには違いが分かるはずだ。

我が家でも、LINN MAJIK DS-Iにつないでいたサンワサプライのカテゴリ7の普及品LANケーブルを、サエクのSLA-500(約1万円)に交換したとき、帯域レンジも音場感もぐっと広がったし、音の伸びやかさも向上した。それはほとんど一聴しただけで分かる違いで、現にオーディオなど興味のないウチの奥さんでも、違いはすぐに分かったのだ。それもPerfumeを聴いてである。

ただし、我が家のオーディオはアクセサリー類も含めると総額100万円ほどのシステムなので、実際に30万円のシステムでどの程度の差が出るかはわからない。でも、私自身がオーディオを始めた当初(1995年)の30数万円のシステムでも、スピーカーケーブルやインターコネクトケーブルを替えたときに音に変化が表れなかったことなど、ただの一度もなかった。アナログケーブルとデジタルケーブルを同列に論じることはできないだろうが、やはり30万円のシステムの能力をもってすれば、まず違いは分かるはずだと推測する。

ちょっと話がそれてしまった。とにかく今後、CDを買ってきたりハイレゾのアルバムを買い足していっても、1TBあれば、次にNASを買い替えるであろう5、6年後まで容量は確実に足りるはず。とりあえず安心である。

ところで、上にも少し書いたがdBpowerampの好きなところについて。音質が優れているかどうかはともかく、タグの表示のされ方が良い。今まで使ってきたリッパーは、各単語の頭文字をすべて大文字にして表示してくれていた。例えば、プリンスのアルバムで言うと、”Around The World In A Day”のようにだ。これはロックやジャズなどでは特に問題にならない。

しかしクラシックとなると、これが問題大ありなのだ。何が困るかというと、テンポ等の表示が、例えば”Allegro Ma Non Troppo”となってしまう。これは明らかにおかしい。やはりここは、”Allegro ma non troppo”でなくてはいけない。

dBpowerampを使い始めるまでは、こうした不要な「大文字化」を手でいちいち小文字に修正していたのだが、この手間がバカにならず、クラシックのCDをリッピングするのが憂鬱になっていた。特にオペラなどの歌モノは各トラック名が出だしの歌詞になっているが、それが結構長いため、もう絶望的なまでに手間がかかっていた。

ところがdBpowerampは、こうした場合も初めから”Allegro ma non troppo”と、大文字にすべき箇所だけ大文字で表示してくれるから大助かりなのだ。

基本的に前置詞と冠詞については大文字にしないスタイル。”Around the World in a Day”といった具合である。まあ、これはこれで正式な感じがして悪くないというか、カッコいい気がする。

かつて、あるオーディオ雑誌で、お薦めのリッパーは何かと問われた2人の評論家が、ともにiTunesを推していた。そのうち1人は、「リッパーによる音質の違いは大したことないから、iTunesで十分である」という旨のことを書いていた。

リッパーによる音質の差については、私も検証できていない。かつての私は、結構細かいことも気にしながらオーディオに取り組んでいたが、今の私は「ゆる〜いオーディオファン」、いや、「どうせならいい音で聴けると嬉しい音楽ファン」に過ぎないのだ。いくつかの曲を異なるリッパーでリップして、その音質差を真剣に検証するというような作業は、よほど暇があるときでなければやらないだろう。

どのみち、基本はdBpoweramp、それで何か不具合があるときはiTunesという路線で当面は行くことが決定している。少なくともdBpowerampがiTunesより音が悪いということはなさそうだし、仕事も丁寧にしてくれていそうだし、このまま検証せずに我が家のCDリッピングは完了してしまうのではないだろうか。

以上、リッピング及びリッパーについて現在の私が思うところを書いてみた。dBpowerampは、特にクラシックを聴く人にとって、タグの管理が楽だという点で有益なリッパーだということは間違いない。ここまで書いてきたようにMac版も既にあるので、興味のある方は是非使ってみてほしい。


※ 最近、今まで使っていたバッファロー製の古い無線LANルータの親機と子機を、それぞれAirMac Extreme、AirMac Expressに買い換えてみた。そうしたらリッピングにかかる時間が劇的に短くなった。

具体的に言うと、デフォルトのLossless Level 5のときで、CDの収録時間10分あたり1.5分かかっていたのが0.7分ほどに、Lossless Uncompressedのときで、収録時間10分あたり2分かかっていたのが1分に、というような変化だ。ほぼ半分の時間である。

RippingのプロセスはMac本体の中での作業だろうし、無線LANルータを換えたことによる影響はないように見えるが、その後のEncodingのプロセスにかかる時間がすごく短くなった。Encodingしながら同時に子機(現在はAirMac Express)につながっているNASにデータを飛ばして書き込んでいると思われるが、その速度が劇的に早くなっているのだろう。正直、ここまで変わるとは思っていなかった。もっと早く買い換えれば良かったと後悔している。(2016年7月18日追記)

by raccocin | 2016-01-30 18:23 | 音楽とオーディオが好き

生演奏か再生音楽か 〜再生音楽ラブな私が考える「音楽」と「音」〜

タイトルに惹かれてこのエントリを読んでくださる方は、もちろん音楽ファンでしょうね。それでは早速ですがお尋ねします。

あなたは「生演奏」がお好きですか? それとも「再生音楽(レコード音楽)」がお好きですか?

「何をアホなことを尋ねるのだ。生演奏のほうがいいに決まってるじゃないか」

私が想像するに、こう答える人が世の中の多数派ではないだろうか。しかし私自身はと言えば、もう迷うことなく、自分は「再生音楽」が好きだと答える。もちろん、私も含めてほとんどの音楽ファンが、生演奏も再生音楽も両方楽しんでいることだろう。

ただ多くの人の本心としては、「そりゃ生演奏が一番に決まってるけど、しょっちゅうコンサートに行く時間もお金もないから、普段は次善の策として再生音楽を聴いているだけだ」というところではないだろうか。

しかし私は、ここでひっそりと主張したいのである。
「ちょっと待ってください。再生音楽だって生演奏に負けないくらい素晴らしいのですよ。決して生演奏の代わりに仕方なく聴くようなものでは絶対にありません」と。

当たり前だけれど、どちらが単純に優れているというものではない。でも、まずは話を分かりやすくするため、生演奏と再生音楽のメリット&デメリットを私なりに箇条書きにしてみよう。


***************************************
《生演奏》
○メリット
・多くの場合、音がいい(少なくともスケール感や迫力がある)
・演奏者の姿を生で見ることができる
・今、私が聴いている音楽はこの一度きりという「一期一会感」がある
・聴衆と演奏者との一体感がある
・終演後に仲間と語り合ったり、美味しいものを飲み食いする楽しみも追加できる

○デメリット
・ロックなどPAを使うコンサートの場合は音がよくないこともある
・時間をかけて会場まで行かなければならない(運が悪ければ急用などで行けなくなる)
・前々から決まっているアーティストの曲しか聴くことができない
・既に他界している音楽家や解散しているバンドなどは聴くことができない
・チケット代は、たいていの場合CDやレコードよりも高い
・近くにいる客のマナーが悪いときは(うるさい、タバコ臭い、眠りこけるなど)不快にさせられる

これに対して再生音楽のメリット&デメリットは、当然のことながら生演奏のそれをひっくり返したものになるだろう。

《再生音楽》
○メリット
・良質なオーディオを使えば(生演奏とは別の意味で)いい音で聴くことができる
・家にいながらにして、または電車の中ですら聴くことができる
・その日その時の気分に合った音楽を自由に選ぶことができる
・何度でも繰り返し楽しむことができる
・既に他界している音楽家や解散しているバンドなども聴くことができる
・CDやレコードは、たいていの場合コンサートのチケットよりも安い
・不愉快な他の客に楽しみを阻害されることがない

○デメリット
・(特に安価なオーディオで聴く場合)それなりの音でしか聴けない
・演奏者の姿を伴わない、音だけでの鑑賞となる(CD・レコードの場合)
・いつでも繰り返し楽しむことができるため「一期一会感」はない
・ひとりで聴くことも多いため、人と場合によっては孤独感がある
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代表的なところでは、こんなものではないだろうか。私自身、こんな風に両者の特徴を並べて書いてみたのは初めてだけれど、正直に言うと、やっぱり再生音楽っていいなとあらためて思ってしまった。生演奏の持つメリットよりも再生音楽のメリットのほうを、よりありがたく感じているのだ。

最近思うのが、再生音楽のメリットで一番素晴らしいものは、上にも挙げた「既に他界している音楽家や解散しているバンドなども聴くことができる」という、これではないかということ。

どんなに生演奏が好きだという人でも、レッド・ツェッペリンやジミ・ヘンドリクス、マイルス・デイヴィスやビル・エヴァンス、それにカラヤンやバーンスタインの素晴らしい音楽は、いくら聴きたいと思っても生演奏で聴くことはできない。当たり前だけれど、もう亡くなっていたりバンドが解散したりしているからだ。

そうした、もう生演奏では聴きようがないないけれど最高に素晴らしい音楽たち、それらを今でも聴けるようにしてくれているのが、他ならぬ録音技術というものである。これはもう、どれほど感謝してもし尽くせないくらいの偉大な技術だ。もしもタイムマシンがあったら私はエジソンのもとに飛んで行って、熱烈なハグと感謝のキスを浴びせたい。そんなことを考えてしまうくらい、どエラい技術だと思う。

19世紀までだったら、ものすごい王侯貴族であっても生演奏でしか音楽を聴けなかった。しかし現代に生きる音楽ファンは、私のような庶民でも、好きなときに好きな音楽を聴くことができる。あらためて考えてみたら、とてつもない贅沢を手にしているのだ。現代人は、いつでも音楽が聴けることを当たり前に思ってしまいがちだけれど、それはとてもありがたいことなのだ、ということは常に忘れないようにしたい。

ところで、上に書いたメリット&デメリットをどのように捉えるかによって、音楽ファンも3種類くらいに分類できると私は思っている。


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1 生演奏が大好きで、実際コンサートには足繁く通っていつも感動している。また音楽ソフトもたくさん所有しているのだが、いいオーディオで聴いた体験が少ないため再生音楽の楽しさを過小評価している(リア充?)

2 再生音楽のメリットを正しく理解し、いい音で聴けるように良質なオーディオや音楽ソフトを所有しているが、出不精である等の理由で生演奏はあまり聴かない(オタク的。私はここ)

3 生演奏と再生音楽双方のメリットを正しく理解し、いい音で聴けるよう良質なオーディオと音楽ソフトを所有しながら、同時にコンサートにも足繁く通う(理想的。尊敬します)
***************************************


いかがだろうか。もちろん、この3種類のどれかにピッタリ当てはまる人ばかりではないだろうが、類型としてはこんなところではないかと思う。

私もいつの間にか40数年生きてきて、その間いろいろな人間を見てきたけれど、理想的な「3」に当てはまりそうな音楽ファンというのは本当に少ない。まあ、かく言う私自身が「2」に当てはまるので、偉そうなことは言えないのだけれど…。

そして自分で言うのもなんだが、「2」の人たちというのは、他人から何を言われても態度に大きな変化はないだろう。私自身、回数はとても少ないけれど今までに50回くらいコンサートに行ってきた(私の「コンサート歴」はこちらで)。それでも、あえて再生音楽のほうが好きだというのには、持って生まれた性分もあると思う。私だって高校生くらいまでは別に出不精でもなかったけれど、小学生の頃から「いつかは自分のステレオが欲しい」と強く思っていたからだ。

そして「3」の人たちときたら、私ごときが言うことは何もない。今までどおり「生演奏」の素晴らしさと「再生音楽」の素晴らしさを両方とも存分に堪能して、リッチなミュージックライフを過ごしていただきたい。

そんなわけで、私が本当に語りかけたいのは「1」の人たちなのである。コンサートに足繁く通うと同時に音楽ソフトもたくさん所有しているのだが、そのソフトを再生する肝心のオーディオには手頃な価格のものを使っている人たちである。

もちろん、「1」の人たちがコンサートからたくさんの感動と音楽的体験を得ているのは素晴らしいことだ。そして、たいていの場合、熱心なコンサート・ゴーアーというのは音楽ソフトもたくさん所有していることが多い。だから再生音楽からも多くのものを得ているのに違いない。

しかし、ここで私が言いたいのは、「いいオーディオを使って聴いたら、もっともっと、想像する以上にミュージックライフが豊かになりますよ」ということである。

家にいながらにして、いい音で音楽が聴ける。これは一度やればわかってもらえるが、本当に素晴らしいことだ。音楽が好きな人なら、必ず今よりも幸せになれると私は断言する。コンサートに出かけるためのお金を少し節約して、いいオーディオを買うために貯金するくらいの価値は絶対にある。

食に例えるなら、生演奏は「外食」、再生音楽は「おウチご飯」と言える。外食はもちろん美味しいし楽しい。でも多くの現代人にとって、基本はやはり「おウチご飯」と言うべき「再生音楽」だろう。家でもいい音で音楽を聴くということは、この「おウチご飯」がぐっと美味しくなるということなのだ。

私の知り合いで、ごく頻繁にコンサートに出かけて楽しんでいる人がいる。私などはその行動力に感心するばかりなのだが、やはり彼もオーディオにはこだわりがないようだった。それで、私が「もうちょっといい装置で聴いてみてはどうか」と勧めてみたことがある。

すると彼はこう答えた。「オーディオってさあ、やっぱり専用の地下室とか作って、300万円くらいかけないとダメなんじゃない?」

私は、そんなことはない、6畳間でもリビングでも楽しめるし、それに300万円もかけなくたって十分に楽しめるのだと言いたかったが、そこにはなんとなく反論しにくい空気があった。

その知人は、オーディオなんて面倒なものには首を突っ込みたくないからと自ら高いハードルを設定して、できるだけ距離を置こうとしているかのように見えた。もしかしたら、一度いいオーディオを買ってしまうとドツボにはまってしまい、抜けられなくなるのではないかと恐れていたのかもしれない。

しかし、地下室なんて持っている必要はないし、300万円もの大金をかける必要もない。それは断言できる。もちろん地下室を作ったり300万円かけている人を否定はしない。そうしないと得られない世界があるのは承知しているけれど、彼らは放っておいてもオーディオの楽しみを深く追求できる人たちなのだから、まあ自由にやってもらえばよい。

とにかく、いわゆる「オーディオマニア」になる必要はないし、一度いいオーディオを買ったら最後、あとはマニアの道をまっしぐらになるわけでもないから、どうぞ安心していい装置を買ってくださいということだ。

実際のところ、「大人の音楽ファンが気持ちよく音楽を味わえる音」という意味の「いい音」ならば、さして苦労もなく出せるのが現代のオーディオ機器なのである(もちろん組み合わせによります)。

ところで、ひと口に再生音楽と言っても、クラシックやジャズのようなジャンルと、ロックやポップなどポピュラー音楽のジャンルとでは、CDやレコードの持っている基本的な性質からして、ちょっと違うと思う。

クラシックやジャズなどは、アルバムのレコーディングが数日間で終わってしまう。どちらかというとこれらのジャンルのCD(レコード)は、「お客さんを入れない状態でやった生演奏の記録」みたいなところがあるだろう。

ところがロックやポップスなどは、もっと時間をかけてじっくりレコーディングを行うし、その内容だって単に生演奏の記録というよりも、あるコンセプトに基づいて制作された「独立した作品」という趣がある。それと、ロックのコンサートというのは、必ずしも音がいいとは限らない。

だからこそ、家でCDやレコードを楽しむとき、いい音で聴くことができたら、それはコンサートで体験する熱狂とか一体感とは全く別種の、とても個人的で豊かな音楽的体験をもたらしてくれるのだ。

私自身はロック、ジャズ、クラシック、エレクロトロニックなど、いろいろなジャンルの音楽を聴いているけれど、いい音で聴く音楽はどれも本当に楽しい。だからクラシックやジャズの愛好家はもちろん、ポピュラー音楽の愛好家にも、もっとオーディオの素晴らしい世界に入ってきてほしいと切に願っている。

どんなオーディオを買ったらいいかということについては、また折を見てコンパクトにまとめたものを書いてみたいと思う。ちなみに現在までの私のオーディオ遍歴については、こちらに書いてあるので興味のある方は参照してください(ただし、どれも長文ですのでご了承を)。

またもや悪い癖で長くなってしまいました。貴重な時間を割いて最後まで読んでくださった方、本当にありがとうございます!

by raccocin | 2015-12-27 17:51 | 音楽とオーディオが好き

ふたりのシュトラウス ~リヒャルトとヨハンのこと~

ずっと前の話だけれど、私は一時期、映画の字幕翻訳家を目指していたことがあった。と言っても勉強したのは、ほんの数か月。字幕翻訳の学校にも通いながら勉強したが、とても自分などができる仕事ではないと気付き、すぐに諦めてしまった。

その時分に買ったのが、DHCが発行していた「完全字幕シリーズ」の本だ。DHCというと、今ではすっかり化粧品やサプリメントの会社として知られている。しかし実はDHCというのは、なんと「大学翻訳センター」の略なのである。知らなかったでしょ。元々この会社は、大学の研究室相手に翻訳をしてあげていた会社なのである。なんで化粧品やサプリメントに手を出したのかは知りませんけどねえ…(笑)

で、今でも翻訳事業は細々と続けているようで、この「完全字幕シリーズ」もその一環なのだろう。このシリーズには、洋画の脚本が丸ごと載っていて、その日本語対訳、それに映画の字幕が掲載されているのだ。映画で生きた英語を勉強しようというわけですね。

私は、その中の『めぐりあう時間たち』(原題 ”The Hours”)という本を買ってみた。ニコール・キッドマン、ジュリアン・ムーア、メリル・ストリープという豪華な出演陣で、たまたま私はDVDも持っていた。正直、観ていても全然ハッピーな気分になる映画ではないのだが、こういう文芸色が濃くてダークな映画に浸りたい気分だったのかもしれない。

で、読み進んでいくうちに、私はこの本の中に誤りを見つけてしまった。物語の中盤で、メリル・ストリープ演じる女性がパーティで皆にふるまう食べ物を準備するシーンがある。そのとき彼女がキッチンで聴いている音楽が、R.シュトラウスの『四つの最後の歌』の3曲目、「眠りにつくとき」”Beim Schlafengehen”である。

この箇所について脚本中では、”one of Strauss’s last songs”とある。ところがDHCの対訳では、それは「シュトラウスの晩年の作品群の1曲」とあり、なんと作曲家は「ヨハン・シュトラウス」と説明されているではないか(!)

長年クラシック音楽を聴いてきた私は、「えっ、マジ?」と笑ってしまった。この間違いは是非、正してあげなければいけないとおせっかいながら思ったのである。ましてや『四つの最後の歌』は私も大好きな作品だ。このまま放っておくわけにはいかない気分になった。

では参考までに、そのときDHCに送った訂正依頼メールをご紹介しよう。人様の昔の間違いをネットでさらすのはどうかという気もするけれど、R.シュトラウス好きな方には、ちょっとは楽しんでいただけるのではないかと思う。

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はじめまして。
貴社の完全字幕シリーズ『めぐりあう時間たち』を先日購入した者です。
私は、最近になって字幕翻訳の勉強を始めたこともあり、楽しく拝読しております。
しかし、本書の一部に誤りを見つけましたので、念のためご報告します。

172 ページのシナリオ原文5行目に 'one of Strauss's last songs' とあり、
対訳では「シュトラウスの晩年の作品群の1曲」、チェックポイントの2. では作曲家が
「ヨハン・シュトラウス」と説明されています。
しかし、ここでいう 'one of Strauss's last songs' とは『Richard Strauss
(リヒャルト・シュトラウス)のFour Last Songs(四つの最後の歌)の中の1曲』です。
『四つの最後の歌』という作品の3曲目が使われています。

ちなみに英訳歌詞の中には
'Now all my senses want to sink themselves in slumber.
And the soul unwatched, would soar in free flight'

とあります。どことなく死の影が漂う歌詞を持つこの曲が選ばれているのも、
意味があることなのでしょう。
 
エンドクレジットには作曲者と曲名が明記されていますから、クラシック音楽に
詳しくなくても、この曲に興味を抱いた人に対しては、いずれ露見する誤りです。
インターネットで調べれば簡単に分かることだと思うのですが……。試しにアマゾン
のサイトで、 'jessye norman strauss' と入力して検索してみましたが、すぐに見つかりました。
今回のケースは、'Strauss' と見て「ああ、知ってる知ってる、あのワルツ王でしょ」
と早合点したとしか思えません。

蛇足ですが、クラシック音楽の世界でシュトラウスと言えば、リヒャルトのほうが
遥かにメジャーで、良く演奏されます。ヨハンのほうは、ニューイヤーコンサートなどの、
華やかな雰囲気が求められる「お祭り」で演奏されることが多い人です。

いずれにせよ、このような誤りを見ると、よく調べないで憶測で処理された箇所が
他にもあるのではないかと、その本全体に疑いを持ちながら接することになります。

以上、一翻訳家志望の長~い苦情でした。
今後も、この完全字幕シリーズに期待しています。
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この後、DHCからは再版の際に訂正する旨、丁寧なお礼のメールをもらった。訂正された新しい版を確認はしていないけれど、ちゃんと正しい説明になったのは、いいことだと思う。リヒャルトとヨハン、ふたりのシュトラウスさんのためにもなったのではないだろうか(笑)

正直、この誤りには、やむをえない部分もあるとは思う。普通、世間に「シュトラウスって作曲家、知ってますか?」と尋ねたら、仮に知っていたとしても、ほとんどの人は「ヨハン・シュトラウス」と答えるだろう(そして、同じ名前の父子2人がいることは知らない)。かくいう私だって、リヒャルトのほうのシュトラウスの名を知ったのは、ちゃんとクラシック音楽を聴き始めた後のことだったし。

さて、最後に「私的R.シュトラウス・ベスト3」を挙げておこう。

1 『四つの最後の歌』
2 『メタモルフォーゼン』
3 『ドン・ファン』

『ツァラトゥストラ』も『死と変容』も捨てがたいけれど。無理矢理3つ選ぶならこれかな。

by raccocin | 2015-10-18 16:37 | 音楽とオーディオが好き

パーヴォ&N響のコンサートへ マーラー/交響曲第2番「復活」を聴く

◎マーラー/交響曲第2番「復活」
エリン・ウォール(Sop)/リリ・パーシキヴィ(Alt)/東京音楽大学(Cho)/パーヴォ・ヤルヴィ指揮/NHK交響楽団
NHKホール
2015年10月4日

オーケストラによるコンサートは本当に久しぶり。ブログに綴った「コンサート歴」を遡ってみると、どうやら2005年秋に聴いたエンニオ・モリコーネ&ローマシンフォニー以来の生オーケストラ鑑賞らしい。ちょうど10年ぶりである。いやはや、随分とごぶさたしてしまったものだ。

初めに告白しておくと、私は長いこと、日本のオーケストラというものを信用していなかった。過去に日本のオーケストラを真面目に聴いた体験といったら、1991年に行われた大友直人&東京シティ・フィルハーモニックのコンサート、それから98年に発売されたデュトワ&N響によるCD、「プロコフィエフ/『ロメオとジュリエット』抜粋ほか」、この2つだけである。

正直なところ、それらは私になんら強い印象を残さなかったので、「日本のオケなんてこんなものか」という、今思うと大変失礼かつ浅はかな考えを持つに至ってしまったのだ。

中学生のときに洋楽ロックを聴き始めた私は、その後もクラシック、ジャズと聴く音楽の幅を広げていったけれど、基本的に西洋人が演奏する音楽ばかり聴いてきた。もちろん、例えば小澤征爾、内田光子、ヨーヨー・マ、チョン・キョンファなど、東洋人の音楽家たちも聴いてはきたが、彼らは指揮者や独奏者だ。オーケストラについては相変わらず西洋のものばかり聴いていたというのが実態である。

そんな私が、なぜ今回、N響のコンサートに出かけたのか。その理由は、ツイッターで指揮者のパーヴォ・ヤルヴィ氏をフォローしたところ、すぐにフォローバックしてくれたからだ。まあ実際には、ツイッターのアカウント管理などはマネージャーさんがしているのかもしれない。しかし、クラシック音楽家のアカウントからフォローされたのが初めてだったのもあって、結構嬉しかった。それで気分を良くした私は、「ではお礼にコンサート参りでも」となったのだ。我ながら、ものすごく単純である(笑)

さて、肝心の演奏についてだ。NHKホールに来ること自体が、97年のベルリン国立歌劇場による『ヴァルキューレ』以来で、私自身まだ2回目である。このホールはテレビで見ていると少し冷たい感じも受けるが、実際には思ったよりも暖かみがあったし綺麗だった。私が座ったのは1階席の最後列、中央やや右に位置する席である。

オーケストラは現代的配置ではなく、通常右側に来る低弦群を客席から見て左側に置いていた。弦楽器は左から第一ヴァイオリン、チェロ、ヴィオラ、第二ヴァイオリン。コントラバスは第一ヴァイオリンとチェロの背後に横一列に並んでいる。

さて、いよいよパーヴォが舞台に現れ、演奏が始まった。出だしからして、弦楽器が厚く暖かみのある音を聴かせてくれる。
ところで我が家のリビングには、LINN MAJIK DS-I とPIEGA Premium 3.2からなるオーディオシステムがあって、私は普段からそれなりのクオリティの音を聴いていると思っていたけれど、ステージから届けられるこの暖かく柔らかい響きは、やはり素晴らしい。あらためて生音の気持ちよさを実感した。

音と言えば、ここで断っておきたいのは、私にとってN響の生演奏は初めてだし、NHKホールにしてもオーケストラがステージに載った状態の音を聴くのは初めてなので、どこまでがホールの音で、どこからがオケの音なのか、まったくわからないということである。あくまでも、この日の私の耳にきこえた響きを感じたままに書いているのでご了承いただきたい。

ヴァイオリンはどちらかというと、すっきりとして歯切れが良い。この日の演奏は全体的に、ティンパニやシンバルなどの打楽器、それにトランペットなど金管楽器の華やかなアクセントが明快で、それが弦楽器の明晰な響きと相まってメリハリの効いたダイナミズムにつながっていた。

ところで、演奏を聴き進むうち、初めに感じた音の厚みや暖かみというものにもすぐに慣れてしまい、トゥッティなどはもう少し厚みがあってもいいのに、などと思い始めてしまう。実際、この日のN響はピラミッドバランスというよりも、もう少しフラットなバランスの音をきかせていた。良く言えば、すっきりとして垢抜けたサウンドだが、ここぞというときの低弦群の支えには、もっと堅固なものを求めたい気がした。

とはいえ、全体的に弦楽器の技術はかなり高い。私は欧米のオーケストラの来日公演も聴いてきたけれど(わずか20回弱…)、それらと比べても遜色はないだろう。むろんウィーンフィルだとか、「超」がつくような一流どころと比べたら負けてしまうが、私が聴いた海外オーケストラの弦楽器の平均的実力が、この日のN響よりも格段に優れていたとは決して思わない。

特筆すべきは中くらいの音量で弦楽器を歌わせる部分で、まるで氷の上を滑るような美しくしなやかなフレージングは、カラヤン・レガートならぬ「パーヴォ・レガート」と呼びたくなるくらいだった。

一方、管楽器については、もっと表情の豊かさが欲しかったというのが正直な感想である。こんなところでも日本人は、個の力量を発揮できる管楽器よりも、集団でやる弦楽器のほうが得意なのだろうかと妙なことを想像してしまう。マーラーの音楽は、管楽器がソロイスティックな技巧を披露できる聴かせどころをふんだんに用意しているけれど、N響の管楽器奏者たち、特に木管楽器の奏者たちは、どこか控えめに演奏しているようにきこえてしまった。

これは指揮者のパーヴォが、あえてそうしたバランスでやらせているのかもしれないが、やや物足りない。その点、私の愛聴盤であるパーンスタイン&ニューヨークフィルハーモニックの87年ライヴ録音では、管楽器が実にニュアンス豊かに歌っていて、とてもカラフルで生き生きした印象を与えるのだ。

また、バーンスタイン盤では天国的なまでに美しい第四楽章の冒頭も、このコンビがきかせる響きはどことなく現世的で、いまひとつ恍惚感に乏しい。トランペットの量感自体はたっぷりしているのだが、なにか楽天的なところがあり、祈りに満ちた厳粛さを感じさせてくれないのだ。

しかし終楽章の設計は入念で、長大なこの楽章を緩みなくダイナミックに演奏しきった。合唱にはやはり一層の厳粛な表情を求めたいが、音大の学生がやっていることを考えたら満足すべきなのだろう。そして何と言っても、パーヴォとオーケストラは、最初から最後まで引き締まったアンサンブルを保って、このスペクタキュラーな交響曲を一気呵成にきかせてくれた。

正直に言うと、それほど精神性の深い演奏とは思わない。しかし音楽の外枠をしっかり提示し、基本的にインテンポで流れを重視したその演奏は大変スマートな印象を与える。反面、第二ヴァイオリンやヴィオラといった内声部の表情は控えめで、立体感という点ではやや不満も残る。

とはいえ、マーラーのサウンドが持っている抜群の面白さを、透明度が高く洗練された響きでドラマティックに描いてみせてくれた。私はとてもリラックスした気分で、心から演奏を楽しんだし、日本を代表するオーケストラの高い実力を今頃になって認識することもできた(遅すぎる!)。

下衆な話で申し訳ないけれど、こういう上等な音楽とサウンドをS席でも9,000円程度で楽しむことができるのだから、もっとこのコンビの演奏を聴いてみたいと思うようになった。欲を言えば、このオーケストラの本拠地が私の大好きなサントリーホールだったら、とも思う。しかし、それは無い物ねだりである。

いや、むしろ最も演奏し慣れているNHKホールでの演奏こそ、N響の実力がいかんなく発揮されるのだろう。それに、ひとつのオーケストラをその本拠地とするホールで繰り返し鑑賞するという体験自体が、ちょっと想像しただけでもすこぶる魅力的だ。それは私の音楽観にも少なからぬ影響を与えるに違いない。

私にとって、日本のオーケストラを生で聴く2回目の体験は、すばらしく有意義なものとなった。パーヴォ・ヤルヴィ氏とNHK交響楽団には感謝の一言しかない。「どんな音楽にも虚心坦懐に耳を澄ませること」、その大切さをあらためて胸に刻んだコンサートになった。

by raccocin | 2015-10-12 11:04 | 音楽とオーディオが好き

中耳炎の治療が長引いたので、治療の経過を記録する

うーん、今回の中耳炎はなかなかすっきり治らなくて、憂鬱だ。また次に中耳炎になったときの参考のために、治療経過を書いておこう。

さて、初めに耳の調子がおかしくなったのは、およそ1か月前の5/15頃。急に右耳に詰まり感が出てきた。私の場合、おかしくなるのはたいてい右耳と決まっている。昔かかっていた耳鼻科の先生に、私の鼻の通り道は右側が少し狭くなっていて、そのせいで右の鼻の方が詰まりやすいのだと説明されたことがある。

右の鼻腔の奥に炎症が起きやすい → 耳管の咽喉側の出口も炎症が起きて腫れやすい → 時々、中耳に水が溜まって、聞こえが悪くなる

まあ、こんなメカニズムらしい。らしいというのは、かなり前にそのようなことを他の耳鼻科医から聞いた覚えがあるというだけだからだ。まさに素人のうろ覚えで、医学的に正確な理解であるかは非常に疑わしいから、あまり信用しないでくださいね。ちなみに、今回の症状について、現在のかかりつけ医は、このような説明を一切していません。

さて、話は戻って中耳炎発症時のこと。初めは、また右耳がおかしいなあと思っていただけだったけれど、急激に詰まり感はひどくなるし聞こえも悪くなり、さらには痛みまで出てきたので、これはヤバいと思った次第。そこで、5/16(土)、職場の近くの耳鼻科に駆け込んだ(休日出勤していたため)。

まずは抗生剤(セフジトレンピボキシル錠100mg 6錠/日)と抗炎症剤(カルボシステイン錠250mg 6錠/日)が処方された。しかし翌17日(日)には熱が39度まで出て、めまいまで加わったので、今回の中耳炎は手強いなという印象を持った。あまりに具合が悪いので、午後はかなりの時間、ベッドで安静にしていたくらいである。

とりあえず1週間分の薬を飲みきってみたものの、痛み以外の詰まり感と聞こえの悪さは変わらない。そこで5/22(金)、昔から通っているかかりつけ医に治療の続きを委ねることにした。そのクリニックで鼓膜の画像を見せてもらうと、右のみならず左まで、少し黄色っぽく見える。中耳に膿みが溜まっていたのだろう。

先生は、右の耳管に空気を通す通気治療をしてくれたが、空気はほとんど通ってくれなかった。薬は抗生剤(クラリスロマイシン錠200mg 2錠/日)と抗炎症剤(カルボシステイン500mg 3錠/日)に加えて、鼻の炎症を抑える薬(商品名ディレグラ 4錠/日)が7日分処方された。

5/23(土)、25(月)にも通院して通気治療を受けた。少しずつ空気は通るようになったけれど、詰まり感も聞こえの悪さも、わずかに軽快しただけ。そうこうしているうちに発症から2週間が経過したが、ここまで症状が長引くのは初めてなので焦った。

そして5/29(金)、中耳に溜まった膿みを吸い取る手術を受けることにした。手術と言っても、大袈裟なものではない。麻酔は、耳の中に薬を注入した後15分ほど横になっていれば完了。手術については、いつもの診察台に座った状態で行い、ものの5分程度で終わってしまった。その間、まったく痛くも痒くもない。

要は鼓膜に小さな穴を開けて、鼓膜の奥に溜まった膿みを吸い取るだけだ。ただし、ひとつ驚いたことがある。それは、鼓膜に空いた小さな穴のところに、緑色のシリコンで作られた、ごく細いチューブを留置したことだ。チューブと言っても長いものではない。

ディスプレイに写し出された鼓膜の画像から推測するに、太さは3mm程度だろうか。長さについては、鼓膜の外側に露出しているのが、これまたせいぜい3mmくらいに見える。チューブが鼓膜の内側に向かってどれくらい出っ張っているのかは、質問しなかったので分からない。

このチューブは、少なくとも数ヶ月はこのまま留置したままにすると先生は言う。急いで外すようなことは、まずしないらしい。場合によっては何年もそのままにしておくのだとか。ちょっとビックリしてしまった。いつ頃から、このようなチューブを鼓膜に留置するという技法が広まったのだろうか。今度、先生に聞いてみたい。

それはともかく、施術後の右耳の通りは素晴らしく改善したし、聞こえも良くなった。むしろ今度は左耳が詰まって感じられるほどの劇的効果である。私はホッとした。こんなことなら、サッサと手術を受ければ良かったと思ったくらいだ。

ところが喜びも束の間、家に帰ってきてひと呼吸置いた頃には、またもや右耳の詰まり感が復活してしまった。ただし、聞こえについては、改善された状態をほぼ維持していた(ちょっと不思議)。

手術時に処方された3日分の抗生剤(セフジトレンピボキシル錠100mg 3錠/日)を飲みきって、6/3(水)に再受診した。鼓膜の周囲に耳垢(というか中耳から浸出した液だろうか)が付着していたので、きれいに清掃してもらった。留置したチューブは安定していて、中耳から新たな膿みも出ていないらしい。この日から薬は処方されなくなった。

ついでに言うと、この日から飲酒の許可が下りたのが、とても嬉しかった(笑) 
中耳炎を発症してからというもの、飲酒はずっと自粛していたのである。基本的に、体に炎症があるとき、酒は飲まない方が無難である。

手術後の状態も安定していたし、実際に少しずつ詰まり感、聞こえともに日々改善されていくのを実感した。そこで満を持して、聞こえ具合をより詳細にチェックするため、ヘッドフォンで音楽を少し聞いてみた。

古いジャズのモノラル録音を聞くと、ベースがやや左に定位してしまうのを除けば、他の楽器は、ほぼセンターに定位する。

不思議なのはクラシックの聞こえ方。オーケストラでは、コントラバスの音が、通常きこえるべき「センターやや右」だけではなく、「やや左」からも聞こえてくる。まるで左右2か所にコントラバスが配置されているかのようだ。注意深く聴くと、どうやらアタックの音は正しく「やや右」から聞こえるのに、その後の余韻というか響き、これが「やや左」から聞こえてくるように感じる。

アタックは本来の位置から聞こえてくるのに、その後の響きは左から聞こえてくるということは、低音については、ある程度の音量がないと右耳では感知できなくなっているのかもしれない。ジャズやロックを聴いても、やはりアタック音はセンターから聞こえるので、私はきっとそうに違いないと確信した。

そして本日6/13(土)、10日ぶりに耳鼻科にかかり、「だいぶ聞こえるようになったけれど、低音がよく聞こえていないようです」と説明した。すると、先生はこう答えた。

「うーん、低音はねえ、鼓膜に重みがかかるから、チューブ入れてるとちょっと聞こえにくくなるんだよね」

すると、このセンターやや左からベース音が聞こえてくるという状態に、ずっと甘んじていなければならないのだろうか。私はギターやキーボードより、ベースやドラムスのほうがどちらかというと好きという人間なので、ベースの音に不満を抱きながら音楽を聴くという状態は、たぶん相当につまらない。私は、ちょっぴり暗い気分になってしまった。

ところがだ。家に帰ってから、今度はスピーカーで音楽を聴いてみた。すると、ヘッドフォンで聴いたときとは印象がまったく違う。右耳は全音域でしっかり音が抜けているのに、左耳は何かこもったような感じで抜けが悪い。何のことはない、原因は右耳ではなく左耳だったのである。左耳で、特に低音域における抜けが悪いので、センターやや左から一瞬遅れてベース音が聞こえてくるように感じるだけだったわけだ。

たしかにこの数日間、モノを飲み込むたびに、左耳から「パチッ」という耳管が開くとき特有の音が聞こえていたのを私は思い出した。私は、耳の調子があまり良くないとき、嚥下時に耳管が開く音がよく聞こえるのだ。

つまり、現状は右耳の方が聞こえは明晰で、むしろ左耳の方がこもって抜けが悪い状態になっているということを、ようやく私は理解した。

しかし、今日、先生は私の両耳をちゃんとチェックしてくれている。そして左耳に何か問題があるという指摘は受けていない。つまり、少なくとも治療を要する状態ではないのだから、もう少し様子を見ていれば左耳の調子も改善し、低音の抜けの悪さも軽快していくのではないか。

という、私としては珍しく楽観的な観測を今はしているところだ。もしも、なかなか良くならないようなら、例の通気治療をやってもらって左耳の通りを改善してもらおうと思っている。

* 以上、現在までの治療経過です。今後のことについては、適宜追記していく予定。


6/20(土)
近所の耳鼻科へ。左の鼓膜は少しくぼんだ状態とのこと。これがもっと悪くなると膿みが溜まってくるのだそうだ。とりあえず通気治療をしてもらう。すぐにスースー空気が通る音がはっきり聞こえた。状態が悪いときは、なかなか空気が通ってくれないから、そんなにひどい状態ではなさそうだ。薬はカルボシステイン500mg(3錠/日)が7日分。

試しに音楽を聴いてみると、通気前に比べれば、少しだけ左耳の抜け感が向上したようだ。しかし、まだベースが左側に尾を引く。もう何回か通気治療を受けて様子を見よう。ああ、早くスッキリしたいな。

6/22(月)
かかりつけの耳鼻科へ。音楽を聴くと、センターから右側がやけにクリアーで情報量が多く、左側は曇っていると言ったら言い過ぎだけれど、右に比べると抜けが悪いので気持ちが悪い。音量的な意味でのバランスも、やや右寄り。右耳に関しては、中耳炎になる前よりも聞こえがいい気がするくらいだ。

なわけで、左耳に空気を通してもらおうと思ったら、「鼓膜に所見ないですよ。いいんじゃないですか」と先生。あれっ、おかしいな。でも、やっぱり喜ぶべきなのか。少なくとも医学的には、左右の耳とも問題ないことが分かった。しかし、オーディオ的・音楽的には、まだ問題がある。さて、どうしよう。

by raccocin | 2015-06-13 20:16 | 何と言っても美容と健康

beyerdynamic DT250/80 レビュー(HD598のことも少し)

最近愛用しているヘッドフォン、ベイヤーダイナミック DT250/80について書いてみよう。これは去年のクリスマスに、自分へのプレゼントとして買ったものである。秋葉原にあるイヤフォン&ヘッドフォン専門店、eイヤホンで手に入れた。価格は税込みで約2万2千円である。

ちなみに、DT250/80の80という数字は、インピーダンスが80Ω仕様であることを指す。他に250Ω仕様の機種もラインナップされている。この記事では、以下、単にDT250と呼ばせてもらう。

ところで、かつてゼンハイザー HD598を選んだときは、ヨドバシカメラで試聴させてもらい、ちゃっかり値段の安いアマゾンで買うという、はしたないことをしてしまった。まあヨドバシの場合、流れている試聴音源のクオリティがお世辞にも高いとは言えないから、本当の意味での試聴にはならないし、オーディオ専門店ではない家電量販店のヨドバシに対して、そんなにいい顔する必要もないか、なんて言い訳しながら買ってしまったのだ。

ところが、eイヤホンの場合、お客さんが持参するiPhoneなりウォークマンなりを直につないで、普段から聴き慣れた音源で試聴ができる環境を整えてくれている。しかも、試聴可能な機種数は膨大だ。こういう貴重な場を提供してくれるオーディオ専門店には、ちゃんと儲けてもらって、これからも長く存続してくれたほうが、結局は我々オーディオ愛好家にとっても有り難い。そう思って、今回はeイヤホンから買ったのだ。
タダで試聴だけさせてもらって目先の損得勘定でアマゾンから購入し、「数千円得しちゃった」なんて言って、喜んでる場合ではないのである(自戒の念も込めて)。

さて、2012年初めに買ったゼンハイザー HD598については、「レビュー」、それに「レビュー その2」に詳しく書いてあるので、興味がある方は参照してほしい。
このHD598は、「レビュー その2」を書いた時点では、音の角が程よく丸まって、良い意味で穏やかで厚手のサウンドになっていたから、それなりに満足していた。ところが、さらにエージングを進めていくうち、次第にそれはタイトな音に変わっていき、私がいつも気にする高域のシャープネスが過剰になってしまったのである。

と言っても、買った当初に感じた、凝り固まっていて耳に突き刺さる種類のシャープさではない。既に一定期間のエージングを経ているから、一応は全帯域で分解能が高まっていて、それなりに聴ける音ではある。しかし、このエッジがキリッと立った高分解能な音は、私の好みからは少し離れているのだ。好きな音楽を聴いていても、今ひとつ音楽の中に入り込むことができない。「レビューその2」を書いた時点からは想像もできないような、ある種のよそよそしさを持った音になってしまったのだ。

もちろん、リケーブルしたり、あるいはヘッドフォンアンプを導入するといった対策も考えられたが、私はいっそのこと、全面的に違う音のヘッドフォンが欲しくなったのだ。そこで、今回のDT250の買い足しに至ったのである。

これを機にHD598は売ってしまおうかとも思ったけれど、その極めて軽くソフトな装着感は得難いものがあるし、音質的に優れた部分もやはりあるから、主に映画鑑賞用として取っておくことにした。それに、ヘッドフォンを2つ持っているというのは、気分転換にもなるし、単純に楽しそうだと思ったのだ。

さて、eイヤホンを訪れるのは今回が初めてだったが、店内にはヘッドフォン、イヤフォン、ヘッドフォンアンプからアクセサリーに至るまで、様々な商品が所狭しと陳列されていて壮観だった。

機種の選定にあたっては、
『ヘッドフォン王国』(ステレオサウンド社)を買って下調べをしていった。それにしても、天下のステレオサウンド社がこんな雑誌を作るくらいだから、いかにヘッドフォン&イヤフォンが現在大ブームになっているのかが分かる。この日のeイヤホン店内も、主に10代から20代と思しき青年たちで大混雑だった。

私は、AKG、KEF、ソニーなど、事前に調べて気になっていたメーカーの各機種、その他にも目に付いたものを直感で手に取り、次々と試聴していった。しかし、どうも決め手に欠ける。これが欲しい、と強く思わせてくれる機種に当たらないのだ。

そのとき、ふと手に取ったのが、このDT250だったのだ。試しに聴いてみると、なかなかいい感じである。
ここが凄く良い、という強烈な魅力があるわけではない。しかし、ロック、ジャズ、クラシック、どれを聴いてもバランスが整っていて、この日試聴した中で、私の耳には一番しっくりきたのだ。低域は多過ぎず少な過ぎず、そしてHD598で一番不満を感じさせる高域も、よくほぐれていて無駄な刺激感がない。

商品のそばには、雑誌のコピーが展示されていた。DT250を愛用している日本のミュージシャン2人(私は日本のミュージシャンをほとんど聴かないので名前は失念)が、このヘッドフォンの魅力について語っている。そこには、質の高い低域、密度の濃い中域、そして耳に刺さらない高域、といった特徴が述べられていた。
うん、やはりこれは、きっと良いヘッドフォンに違いないと私は確信し、レジに向かったのだ。

実を言うと、eイヤホンに出かける前は、ベイヤーダイナミックの製品を買って帰ることになるとは、まったく予想していなかった。ベイヤーの製品はデザインがゴツい感じがして好みではないので、なんとなく敬遠していたのだ。
しかし、このDT250に関しては、このメーカーのデザインの特徴であるアームの張り出しが控えめで、そこも気に入ったところである。色は真っ黒で形もシンプルだし、洒落っ気は皆無。地味と言えば極めて地味だが、いかにもプロ用というこの素っ気無さは、むしろカッコいいと思った。

さて、それでは実際に家でじっくり使ってみた感想に移ろう。

まずは装着感について。側圧は強いほうだと思う。以前試聴したことのあるシュアー SRH840も側圧が強かったが、これに比べるとDT250のハウジングはコンパクトで、側頭部と接する面積が小さいせいか、不快な圧迫感はない。それに、製品の重量自体もたいしたものではない(240g)から、1時間以上聴き続けても、特に疲労感を覚えずに済む。

ヘッドバンドのクッションは薄めだが必要十分だし、イヤーパッドはベロアのため肌触りは良好である。しかし、ヘッドバンドの長さは控えめで、東洋人としては頭が小さい部類の私でも、最大の長さよりほんの少しだけ短くした状態でピッタリである。頭が大きいと自覚している人には、おそらくキツキツになってしまうだろう。必ず試聴(試着?)してから購入してほしい。

では肝心の音質についてだ。
記念すべき初の音出しに選んだのはレッド・ツェッペリンである。何枚かのアルバムから数曲をピックアップして聴き進むうち、私は自分が正しい選択をしたのだということを早くも確信した。派手さのない渋めの音色といい、地に足が着いたと言いたくなるような安定した帯域バランスといい、ブリティッシュ・ロックを聴くのに、これは最高の音だなと思ってしまった。

特に素晴らしいのがベースで、量感重視でも密度感重視でもない絶妙なチューニングなのだ。このヘッドフォンは、あくまでも自然かつ明瞭にベースラインを描き出す。強調感は皆無である。これほどまでに自然で説得力のあるベースラインは、なかなか聴けないのではなかろうか。

そして、ドラムス、ギター、ヴォーカル、みな素晴らしいから嬉しくなってしまう。どこかにスポットライトを当てて聴きどころを演出した感じが全くなく、それでいて、がっしりとした聴きごたえのあるサウンドを提示してくるのだ。音色は程よくウェットで、どちらかと言うとカラッとしたドライな音を聴かせるHD598とは好対照である。

以下、いくつかの曲の印象をランダムに述べてみる。DT250の音質傾向を想像してもらえるだろうか。
なお、音源はすべてCDをロスレスでリッピングしたもので、LINN MAJIK DS-Iのヘッドフォン出力を通して聴いた感想である。

R.シュトラウス/4つの最後の歌から“September”
 シェリル・ステューダー/シノーポリ/シュターツカペレ・ドレスデン
このCDは、ややもするとステューダーの声がキンキンしてうるさくなってしまう難しいディスク。しかしDT250は、その強靭な声の鋭さを受け止めて、しなやかさすら感じさせてくれる。バックのオーケストラも、穏やかさを湛えた優しい雰囲気を醸し出す。

○ブラームス/交響曲第3番から第1楽章
 アバド/ベルリンフィル
このCDは、音色が過度に辛口に感じられることもあるのだが、DT250を通して聴くと、明るいながらも適度に輝きが抑えられた、落ち着きあるサウンドに変身する。弦楽器のアーティキュレーションは実に明確で、しかもキツさがなく滑らかだ。たとえ強奏時でも、変に切れ味だけが浮き上がることがないのが好ましい。コントラバスのピッツィカートはよく引き締まっていながら、管楽器は滑らかに絡み合う。全体的に、分離感とブレンド感のバランスが素晴らしい。

○Miles Davis/My Funny Valentineから“All Blues”
マイルスのトランペットは、芯がしっかりとしていながら柔らかく伸びやかだ。ロン・カーターのベースは量感と密度感のバランスが最高で、トニー・ウィリアムスのドラムスと共に、音楽をグイグイ前に進めていく。ハービー・ハンコックのピアノは、左手が奏する分厚いコードの上で、右手パートがキリリと舞っている印象。正直、もう少し華やかでもいい気がするが、渋味のある厚手のサウンド、そしてバンドの強い一体感が楽しめる。

○Eliane Elias/Sings Jobimから“Garota De Ipanema”
HD598で聴くと、全体的にきりっと引き締まったドライなサウンドが、「フィットネス・クラブに通って贅肉を削ぎ落とし、腹筋の割れたイパネマの娘」を連想させる(笑)。
対してDT250では、「南国の湿り気を帯びた空気の中、優雅にビーチに佇む、しなやかなイパネマの娘」になるから不思議だ。あっ、意味分かりませんか(笑)

○David Hazeltine/Pearlsから“What Kind Of Fool Am I”
ヴィーナスレーベルの録音は、時に締まりのない野放図な音に感じることもあるが、DT250はその辺りをうまく制御して、グラマラスながらもまとまりのあるマッシヴな力感をきかせてくれる。

○Van Halen/1984から“Jump”
このアルバムは、マイケル・アンソニーのベースの量感を不足気味に感じることが多いが、DT250で聴くと、凝縮感に程よく量感が加わったベースサウンドで、バンドをしっかりと支えてくれる。
エディ・ヴァン・ヘイレンが弾く有名なキーボード・ソロは、柔らかくリッチな厚みの中に肌理の細かさを併せ持っていて、実に気持ちが良い。シンセサイザーに詳しくない私でも、「これって、やっぱりアナログシンセですよね?」と思わず質問したくなってしまうような、極めてナチュラルなサウンドなのだ。

○The Jimi Hendrix Experience/Axis: Bold As Loveから“Spanish Castle Magic”
時に粗っぽく、ささくれ立った感じにきこえることもあるこの曲。しかしDT250を通して聴くと、ジミヘンの声は心なしかウェットな響きを帯びる。音の太さやエネルギーの濃さは維持したまま、不要な粗さを削り取ってくれたかのようなサウンドだ。

こんな感じで、褒めようと思えば、まだいくらでも褒められるのだが、キリがないのでこれくらいにしておこう。
特徴的なのは、その絶妙な帯域バランス、丁寧に描かれる質感、端正で落ち着いた音色である。プロ用モニターだけあって、細部の音を克明に拾ってくれるのだが、その克明さだけが浮き上がることがないのが素晴らしい。音の強弱も的確に再現される印象だ。

率直に言って、HD598に比べると、パッと聴いた限りでは地味で大人しく思える。HD598のほうが、音のエッジがくっきりとしているし、タイトな音像と、その周囲に広がっていく余韻も綺麗で、音場空間も広い。こちらのほうが好きだと言う人も多くいるだろう。

しかし、DT250がきかせてくれる音は、派手さはないのだけれど、じっくり聴き込むとニュアンスが豊かで、そのナチュラルな質感が、音楽と聴き手との距離をグッと縮めてくれるのだ。さりげなく、しっかりと音楽を底から支える低域、密度感の高い中域、適度にほぐれていて刺激感の少ない高域が巧みにブレンドされている。


プロ用の機種であるせいなのか、雑誌などでの露出は控えめに見えるが、はっきり言って、このヘッドフォンは傑作だと思う。実売2万円前後で良いヘッドフォンを探している人には、絶大なる自信を持ってお薦めしたい。

《使用機器》
NAS: QNAP TS-110 Turbo
LANケーブル: [NAS - 無線LAN子機]  サンワサプライ カテゴリ7 普及品
       [無線LAN子機 - ネットワークプレイヤー] サエク SLA-500
ネットワークプレイヤー: LINN MAJIK DS-I
ヘッドフォン延長ケーブル: オヤイデ HPC-35J

by raccocin | 2014-07-20 23:10 | 音楽とオーディオが好き

アバド死去に思う〜脱線してオーディオ話も

指揮者のクラウディオ・アバドが亡くなった。私はこの人の演奏が結構好きだったので、淋しい気持ちがする。と言っても、晩年の演奏のことはよく知らないのだが。最近はクラシックの新譜自体、ほとんど買わなくなってしまっているのだ。

LINN MAJIK DS-Iを買ったとき、「とりあえず手持ちのCDをリッピングすることを最優先しよう、ハイレゾ音源とか、新しいソフトを楽しむのは後でいいや」という風に考えていたせいもある。どうも私は変に几帳面なところがあって、ひとつのことをきっちり終わらせてからでないと、次の仕事に取り掛かる気がしないのだ。

ところが、その肝心のリッピングは、さっぱり進んでいない。かと言って、その代わりに新しいソフトを買っているかというと、本当にたまにしか買っていないから、ここ数年というもの、既にリッピングが済んでいる毎度おなじみの音楽ばかり聴いていたのである。

恥を承知で言うと、MAJIK DS-Iを買ってからもうすぐ4年が経つというのに、まだ200枚をちょっと超えたくらいしかリッピングできていないのだ(!)
つまり、平均すると週に1枚程度しかリッピングしていなかったことになる。いやはや、愕然とするしかない。どこまでリッピンングを怠けてたんだろうって。我が家には700枚くらいのCDがあるから、この調子ではリッピングをすべて終えるのに10年以上かかってしまう(笑)

まあ、ここ数年ずっと仕事も忙しかったし、MAJIK DS-Iを買った翌年に子供が生まれて自由時間も減っていたし、無理もなかったと言い訳もできるんだけど。それにしても週に1枚だけとは、あらためて自分自身に呆れてしまう。

最近は、こうなったらリッピングは今後も長期戦覚悟でやるしかないと、諦めの境地に至っている。それで、「久々に、あのCD聴きたいなあ」って思ったら、それをリッピングするという風に、少しずつやっていこう。1日1枚とかノルマ制にしても、絶対続かないと思うから。

そんなわけで、簡単にリッピングは終わらないものと完全に諦めたので、今頃になって、やっと新しいソフトをポツポツ買うようになっている。このあいだも、LINNの40周年記念アルバムを24bit/192kHzのFLACで買ってみた。やっとハイレゾ音源にも親しむようになってきたのだ。せっかくDSを使っているのにハイレゾを楽しんでこなかったなんて、その部分では宝の持ち腐れだ。

良いヘッドフォンを2つも持ってるんだし(ゼンハイザーHD598とベイヤーダイナミックDT250/80)、寝る前の限られた時間を使って聴いていこう。

よし、これからが私のDSライフの本番と考えたい。とりあえずは、MP3、CDクオリティ、ハイレゾといったフォーマットのことは、気にし過ぎないようにしたい。何はともあれ、じっくり音楽を楽しむこと。それが今の私には大事だと思っている。

おっと、また悪い癖で話がそれてしまった。アバドのことだった。

私が好んでよく聴いていたアバドの演奏というと、80年代にウィーンフィルとライヴ録音したベートーヴェンの交響曲全集、それにベルリンフィルと録音(88〜90年)したブラームスの交響曲全集である。どちらも全集としてまとめて買ったのではなく、1枚買っては「いいね!」、また1枚買っては「いいね!」とやっているうちに、結果として全集が手元に揃ってしまったのだ。

特にブラームスの一連の演奏は素晴らしく、とりわけ2番のシンフォニーなどはイタリア的歌心が横溢した名演である。イタリア的歌心などと言うと陳腐だが、とにかくそうとしか表現できないのだから仕方がない。この曲を同じイタリア人のムーティが指揮した盤も私は持っているが、こちらはちょっと華美というか、エレガントに過ぎる感もある。

その点、アバドの演奏は、イタリアの明るく伸びやかな旋律性と、ドイツ音楽にふさわしい雄大なスケール感やどっしりとした構築感が共存していて、とても楽しめるものになっているのだ(決してムーティのが悪いというわけではない)。

アバドのブラームスというと、やはりベルリンフィルを指揮してブレンデルと共演した2曲のピアノコンチェルト(1番は86年、2番は91年録音)、これらも素晴らしい演奏だ。

それから最後にもう1つ、ウィーンフィルとライヴ録音(87年)したマーラーの9番のシンフォニーも名演である。

細部が克明でありながら音楽全体は流麗に進んでいくのが、この指揮者の特徴のひとつだと思うが、この演奏はそれが最高の形で出ている。そして表現の振幅がとても大きく、最高のダイナミズムを聴かせてくれるのだ。しかも、それを決して大げさに感じさせないのがアバドの素晴らしいところである。終楽章の豊満とすら言える美しさ、それと対比をなす静謐感も素晴らしい。

録音のことを言えば、音の質感が実に自然で生々しい。ここはライヴ録音ならではの魅力で、いわゆるオーディオ的快感とはちょっと違うかもしれないが、本当に気持ち良く聴ける演奏なのだ。

もちろん他にも名演奏がたくさんあるに違いない。基本的にこの人は、常にハイレベルで安定した好演奏を繰り出してきたのだろうと思う。

生演奏も一度だけ聴いているが、やはり素晴らしかった。91年にヨーロッパ室内管と一緒に来日したときのコンサートで、プログラムのメインはシューベルトの交響曲第9番『ザ・グレイト』である。とてもフレッシュで、きびきびとした魅力的な演奏を聴かせてくれた。今となっては良い思い出だ。

ところで、現在ベルリンフィルを率いるサイモン・ラトルの追悼コメントの中で、特にこの最後の数年の演奏は超越的だった、とあったから思わず晩年の演奏も聴いてみたくなった。

アバドは幸い、たくさんの録音を私たちの前に残してくれている。その美しくかつ膨大な遺産を、これからもみんなで聴き継いでいきたいですね。

by raccocin | 2014-01-26 23:49 | 音楽とオーディオが好き


考えることが好きで、のんびり屋。5歳男児の父。音楽、映画、アート、コーヒー、それにワインを愛します。完全禁煙のお店も好き。


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