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今まで行ったコンサートをすべて記録しておくエントリ

自分は今までどんなコンサートに行ってきたんだろう、全部記録しておけばよかったなあという思いが、なぜか最近頭をよぎる。

そこで、過去に行ったコンサートをすべて思い出そうとがんばってみた。
もう忘れてしまっているものもあるかもしれないけれど、ほとんど思い出せたはずだ(たぶん)。

(* このエントリを初めに投稿した2010年7月以降のコンサートも順次追加していく。つまり、このエントリを私の一生涯のコンサート・リストにするのだ。 2015年1月11日追記)

ではとりあえず、以下にジャンル別に書いてみよう。

日時まで覚えていないものが多いので、必ずしも時系列に沿った記載ではないけれど、調べてわかったものについては年月も記載した。いっぺんに調べるのが面倒なので、気が向いたらボチボチ調べて追記していこう。

ひょっとしたら曲目が間違っているものもあるかもしれない。なんせ20年前からの記憶を掘り起こしたのだから。

クラシックがやけに多いが、その理由は、比較的コンサートに行く頻度が高かった20代から30代前半の時期に、私がクラシック音楽をよく聴いていたからである。ちなみに、10代の頃は洋楽ロック&ポップばかり聴いていた。

今の私は、主として洋楽ロック、ジャズ、クラシックの3つのジャンルを、ほぼ均等に聴いている。これらの間を行ったり来たりするのが楽しいのだ。


《クラシック》
◎ブラームス/ピアノ協奏曲第1番&交響曲第1番
エリザベート・レオンスカヤ(p)/ホルスト・シュタイン指揮/バンベルク交響楽団
サントリーホール
1990年4月28日

私が自分のお金で初めて行ったコンサート。1990年春、私はまだ21歳だった。
生のオーケストラが生み出す、暖かく分厚い響きに驚嘆したのを鮮明に覚えている。演奏も素晴らしかった。


◎ワーグナー:楽劇「さまよえるオランダ人」序曲
ムソルグスキー(ラヴェル編):組曲「展覧会の絵」
バーンスタイン:「ウエストサイド物語」より”シンフォニック・ダンス”
チャイコフスキー:幻想曲「フランチェスカ・ダ・リミニ」
マイケル・ティルソン・トーマス指揮/ロンドン交響楽団(スペシャル公演:PMFO合同)
横浜アリーナ
1990年7月15日

このコンサートのことはすっかり忘れていた。2015年10月の今、ひょんなことで思い出し、やっと追記している。

このロンドン響のコンサート、本当なら指揮者はバーンスタインが務めるはずだった。しかし、彼は7月10日と12日の2公演を振ったところで体調を崩し、急遽米国へ帰国してしまったのだ。そこで代役を務めたのがティルソン・トーマスだった。

横浜アリーナという、クラシックのコンサートをやるにはどうかなあという会場ではあったけれど、あのバーンスタインの音楽が聴けると思ってとても楽しみにしていた。ところが会場へ行ってみると、目に飛び込んできたのは「バーンスタイン氏は体調不良のため帰国した」旨の看板。周りにいた人たちも、「なんだよ〜」とガッカリしていた。もちろん私もだ。ただし、この日のチケットは、たしか何かの懸賞で当たったタダ券で、懐が痛んでいない分ダメージは軽かったような気がする(笑)

かなり記憶がおぼろげだけれど、横浜アリーナという大きめの器だからといってPAは使っていなかったはず。しかしその分、音量は不足していた。響きの質に至っては、まあアリーナだから、という感じ。座席からして野球場のような椅子で、とてもクラシックを聴くようなところではないのだ。どんな演奏だったかも、ほとんど覚えていない。

結局、帰国直後の7月14日にバーンスタインは亡くなった(日本時間の15日にこのコンサートは行われていて、この時点では彼が亡くなったという知らせは誰も聞いていなかったのではないだろうか)。もう一方の雄というべきカラヤンも、前年の89年に亡くなっている。私がクラシックを聴き始めた翌年のことだ。カラヤンもバーンスタインも生で聴くことができなかったのは、本当に心残りである。

ついでに言うと、さらに翌年の91年にはマイルス・デイヴィスも亡くなっている。もうちょっと早くクラシックやジャズを聴き始めていたら、カラヤンもバーンスタインもマイルスも、みんな生で聴けていたのかもしれないと思うと、なんともやるせない気持ちになる。

それにしても、この1990年前後というのは歴史の転換点だった。89年夏に美空ひばりとカラヤンが相次いで死去、さらにベルリンの壁が崩壊し、米ソが冷戦終結を宣言。90年にはバーンスタイン死去、91年にはマイルス・デイヴィス死去、そしてソ連邦の崩壊。むろん音楽家の死と国際社会の激動との間に何の関係もないが、たしかに「ひとつの時代が終わった」と、誰もが思わされた日々だった。


◎マーラー/交響曲第9番
ジュゼッペ・シノーポリ指揮/フィルハーモニア管弦楽団
東京芸術劇場
1990年11月25日

芸術劇場のこけら落とし公演。
シノーポリは情熱的に指揮していたが、演奏自体は荒っぽかったし、ホールのささくれ立ったような乾いた響きと相まって、まったく楽しめなかった。

それでも終演後の場内はスタンディング・オベーション。日本の聴衆のレベルの低さに落胆した。


◎ベートーヴェン/ピアノ協奏曲第2番
シューベルト/交響曲第9番「ザ・グレイト」
マレイ・ペライア(p)/クラウディオ・アバド指揮/ヨーロッパ室内管弦楽団
サントリーホール
1991年3月30日

ベルリン・フィルを振っているアバドの姿はついに見られずに終わったけれど、この若きオーケストラとの演奏は、細部まで明晰、きびきびとしてフレッシュな素晴らしいものだった。


◎ブラームス/交響曲第1番他
大友直人指揮/東京シティ・フィルハーモニック管弦楽団
東京芸術劇場
1991年?

前半は女性ピアニストが出ていたような気もする。なにかコンチェルトでもやったのだろうか。
女性奏者ばかりでパワー不足のオーケストラ。ホールの響きも痩せているように感じた。これ以来、私はこのホールを見限った。(そんなこと言わず、今度また行ってみよう。 2015年10月追記)


◎R.シュトラウス/交響詩「ドン・キホーテ」
ブラームス/交響曲第4番
アンドレ・プレヴィン指揮/ロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団
サントリーホール
1991年9月29日

プレヴィンらしい暖かく優しい演奏だった。ブラームスの第2楽章では涙が出そうになった。


◎ベートーヴェン/交響曲第5番&交響曲第1番or第2番(?)
ジョン・エリオット・ガーディナー指揮/オルケストル・レヴォリューショネル・エ・ロマンティーク
サントリーホール
1992年秋

たしか2階席の左側で聴いていた。あまり印象に残っていないところをみると、普通の演奏だったのだろう。


◎ストラヴィンスキー/ペトルーシュカ
チャイコフスキー/交響曲第6番「悲愴」
ゲオルク・ショルティ指揮/ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
神奈川県民ホール
1994年10月4日

初の生ウィーン・フィル。普通なら「ああ、憧れのウィーン・フィル初体験。思い切り感動してこよう!」というところかもしれないが、そこはへそ曲がりの私。

「たしかにCDだと良いけど、生演奏も良いのかどうか自分の耳で確かめてやる」くらいのものだった。生意気な若造です。

その結果は、彼らの抜群の上手さに圧倒されるしかなかった。
ショルティの、年齢(80代!)が信じられないくらい精力的な指揮のもと、一糸乱れぬ引き締まったアンサンブルを聴かせてくれた。


◎シューベルト/交響曲第8番「未完成」
ブラームス/交響曲第1番
ガリ・ベルティーニ指揮/シュトゥットガルト交響楽団
サントリーホール
1996年11月23日

ベルティーニが指揮中にコミカルな動きをしたのを見て、前方の列に座っていたおじさんが肩を揺すってウケていたのが記憶に残っている。


◎マーラー/交響曲第9番
ベルナルト・ハイティンク指揮/ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
サントリーホール
1997年10月15日

ハイティンクらしい演奏だった。
はったりは一切なし、自然かつスケールの大きな音楽である。ウィーン・フィルのもちっとした美音も存分に楽しめた。

◎ワーグナー/楽劇「ヴァルキューレ」
ダニエル・バレンボイム指揮/ベルリン国立歌劇場
NHKホール
1997年11月

私にとって唯一の生オペラ鑑賞。狭いピッチに押し込められたオーケストラの音は団子状態だったが、生で聴くオペラ歌手の声は強靭でありながら、とても滑らかなものだと知った。


◎ブラームス/交響曲第2番他
クリストフ・フォン・ドホナーニ/クリーヴランド管弦楽団
サントリーホール
1998年5月20日

CDで聴くこのコンビのサウンドは、ひんやり、カチッという印象だったが、実際の音は、それとは似ても似つかぬ暖かくて自然なものだった。録音だけでは、その音楽家のことを判断できないことをあらためて認識した。


◎マーラー/交響曲第5番他
ウラディーミル・アシュケナージ指揮/チェコ・フィルハーモニー管弦楽団
サントリーホール
1998年10月8日

ブラーヴォ! 厚く充実感のある成熟したサウンドに魅了された。演奏技術も非常に高く、大いに感心。アシュケナージの解釈がどうこういうより、とにかくオーケストラが素晴らしかった。特にプログラム後半のマーラーは圧倒的名演。


◎シューマン/交響曲第2番
ショスタコーヴィチ/交響曲第5番
リッカルド・ムーティ指揮/ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
サントリーホール
1999年3月16日

名門ウィーン・フィルだからということで行ってはみたものの、2曲ともあまり好きな曲ではなく、さほど楽しめなかった。2階席の後ろのほうだったので、音もまろやかすぎて不満。


◎R.シュトラウス/交響詩「ツァラトゥストラはかく語りき」
ブラームス/交響曲第4番
ヘルベルト・ブロムシュテット指揮/ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団
サントリーホール
1999年5月11日

いぶし銀のサウンドとかを期待して聴きに行ったはずだけど、うーん、どうだったかなあ。たぶん普通の演奏だったんだと思う。


◎シューベルト/交響曲第8番「未完成」
ブルックナー/交響曲第9番
ギュンター・ヴァント指揮/北ドイツ放送交響楽団
東京オペラシティ
2000年11月

ヴァントもブルックナーも実はたいして好きではない。ただ、老巨匠最後の来日コンサートになると思い、記念に行ってみた。

そういえば私の少し前の列に、以前上司だったS課長が座っていた。終演後のS課長はスタンディング・オベーション。普段は無表情な彼の嬉しそうな姿を初めて見た。音楽って素晴らしい。


◎バルトーク/「中国の不思議な役人」他
ピエール・ブレーズ指揮/ロンドン交響楽団
東京オペラシティ
2002年10月29日

調べてみるとこのプログラムのはずなんだけど、全然覚えていない。
ロンドン響って大したことないんだ、と思った記憶だけが残っている。

かつてこのオーケストラの音楽監督をしていたアバドは、マーラーの交響曲全集を録音するとき、手兵のロンドン響を使わず、ウィーン・フィルとシカゴ響を併用した。その理由が分かった気がした。


◎?/?
リッカルド・シャイー指揮/ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団
サントリーホール

正直、どんな演奏だったか、まったく覚えていない。曲目も思い出せず。


◎ブルックナー/交響曲第4番(?)
ラファエル・フリューベック・デ・ブルゴス指揮/なんとか管弦楽団
オーチャードホール

ブルックナーのシンフォニーをやったということしか覚えていない。オーケストラ名も思い出せず。とても退屈だった。なんで行ったんだろう。


◎バッハ/管弦楽組曲第4番他
トレヴァー・ピノック(指揮&cemb)/イングリッシュ・コンサート
カザルスホール

前半にヴァイオリン協奏曲を演奏したはず(曲目は失念)。しかしヴァイオリン・ソロとオーケストラのピッチが合っておらず、聴いていて気持ちが悪かった。楽章の合間に何度もピッチを直していたけれど、最後まで合わず。

後半最後の管弦楽組曲第4番は生き生きとした素晴らしい演奏だった。
全体の印象として、古楽器のオーケストラも意外に音量があるのだと感じた。生で聴くチェンバロは優雅で丸い音がした。


◎ベートーヴェン/ピアノソナタ第30番〜第32番
アルフレート・ブレンデル(p)
サントリーホール

1階席の後ろのほうで聴いたため、音量的に物足りなかった。ブレンデルがベートーヴェンの後期3大ソナタを演奏してくれるという素晴らしいコンサートなのに、どういう演奏だったか、よく覚えていない。

アンコールに私の好きなバッハのコラール・プレリュード『来たれ、異教徒の救い主よ』をやってくれた。


◎モーツァルト/ピアノソナタ第11番他(たしか、きらきら星変奏曲とか)
ブラームス/間奏曲 作品118-2
リスト/超絶技巧練習曲から数曲
イーヴォ・ポゴレリッチ(p)
サントリーホール

後半から美智子皇后と紀宮様がご登場。私のすぐ脇の通路をお通りになられた。後でワイドショーを見たら、私もバッチリ映っていた。ちなみに私、テレビにはこれを含めて4回映ったことがあります。全部ちらっとだけど。

やっぱりブラームスの間奏曲が最高。濃密でロマンティックな響きにしびれた。


◎ベートーヴェン/ピアノソナタ第14番「月光」他
エウゲニー・キーシン(p)
オーチャードホール

聴衆は圧倒的に女性多数だった。ポゴレリッチにもその傾向はあったけれど、キーシンのほうが、より女性が多かった。男の私から見ると、ポゴレリッチのほうが断然カッコいいと思うけどね。

キーシンの指は1本1本の独立性が高いというか、いかにも「指が回っている」という風に見えた。

ルックスが良くて若い男性ピアニストのコンサートで女性客が多いのは理解できるが、一般的に言っても、オーケストラのコンサートよりピアノ独奏のコンサートのほうが、女性客が明らかに多い。たぶん、ピアノ学習者とか教師が大勢来るせいだろう。


ナレク・アフナジャリャン(Vc)
武蔵野市民文化会館 小ホール
2012年4月21日

武蔵野文化事業団が主催する超リーズナブルなコンサート。友の会に入会すると、さらにおトクに(笑) ご近所の方は是非。


清水和音(p)
かなっくホール
2012年6月9日

ベートーヴェンも「展覧会の絵」も、きわめて明快かつ娯楽性の高い演奏で楽しませてくれた。


◎バルトーク/「ルーマニアのクリスマスの歌」、組曲「野外にて」他
デジュ・ラーンキ(p)
武蔵野市民文化会館 小ホール
2015年7月10日

これまた武蔵野文化事業団のコンサートだ。友の会に入っている友人に誘ってもらった。この日はオール・バルトーク・プログラム。初めて聴く曲ばかりだったけれど、多彩な表情が楽しめる選曲をしてくれていて、存分に楽しめた。

でも、開演前に大きめの声で会話している人を若いおねえさんが振り返ってキッと睨みつける場面とか、「座席、蹴らないでくださいよ」と後ろの席の人に向かって怒るおじさんとかを見かけるにつけ、「クラシックのコンサートって、なんかギスギスしてんなあ」とイヤになったのも事実。もっとリラックスして楽しめないものかな。


エリン・ウォール(Sop)/リリ・パーシキヴィ(Alt)/東京音楽大学(Cho)/パーヴォ・ヤルヴィ指揮/NHK交響楽団
NHKホール
2015年10月4日

2005年秋に聴いたエンニオ・モリコーネ指揮ローマシンフォニー以来の生オーケストラ鑑賞である。ちょうど10年ぶり。そんなに久しぶりとは、我ながら信じられない。そして恥ずかしながら、日本のオケを生で聴くのは、これがまだ2回目。

日本を代表するオーケストラの演奏は、ちゃんと上手かった。すっきりと垢抜けた響きで演奏される劇的なマーラーの世界。


エレーヌ・グリモー(p)
東京オペラシティ
2016年5月16日

前半は、彼女の"Water"というアルバムに収録された曲を中心に。ラヴェル『水の戯れ』、ドビュッシー『沈める寺』など水にまつわる曲たち。リッチで深みのある左手の和音に右手の洗練された華やかな音が重なり、フランス的な美を満喫。

後半はブラームスのソナタ。一転して、爆発的とも言えるエネルギーを感じさせる熱演。ピアノはやっぱり肉食の西洋人が発明した楽器なのだということをしみじみ実感。


内田光子withマーラー・チェンバー・オーケストラ
サントリーホール
20016年11月8日

サントリーホールに来るのは、なんと15年ぶりくらい…。
清々しく凛とした内田さんのピアノと、きりっと引き締まったオーケストラとの共演は若々しく溌剌としたものだった。

2曲のモーツァルトの間に置かれた『バルトーク/弦楽のためのディヴェルティメント』も秀演。



◎サー・アンドラーシュ・シフ

モーツァルト: ピアノ·ソナタ第17(16) 変ロ長調 K.57

ベートーヴェン: ピアノ·ソナタ第31 変イ長調 op.110

ハイドン: ピアノ·ソナタ ニ長調 Hob.XVI:51

シューベルト: ピアノ·ソナタ第20 イ長調 D959

2017321日 東京オペラシティ


シフが各国で開催してきた、名作曲家の後期ソナタを演奏する”Last Sonatas”。それが日本にやってきた形である。


ベートーヴェンとシューベルトに期待して行ったのだが、いざ聴いてみると、とりわけモーツァルトとハイドンに心奪われた。弾むように豊かな左手と、澄み切った音でよどみなく歌われる旋律。


正直に言うと、ここまでニュアンス豊かに弾ける人がいるものなのかと、私は驚いてしまった。何気ないフレーズにもデリケートな表情が満ちている。


アンコールも5曲と大盤振る舞い。「よっ、名人!」と思わず心の中で掛け声をかけてしまった。


*** クラシック 計30回 ***



《映画音楽》

エンニオ・モリコーネ指揮/ローマ・シンフォニー

東京国際フォーラム ホールA
2005年10月8日

モリコーネ先生が自作を自ら指揮して聴かせてくれるという夢のようなコンサート。
『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ』、『ミッション』、そしてアンコールの『ニュー・シネマ・パラダイス』。美しい夜でした。

婚約者(今の奥さん)の婚約指輪を銀座で注文して、その足で一緒に行ったこともあり、思い出のコンサート。

*** 映画音楽 計1回 ***


《ジャズ》
◎キース・ジャレット・トリオ
神奈川県民ホール
1996年

◎同
オーチャードホール
2001年4月23日&24日

◎同
東京文化会館
2001年4月30日

◎同
新宿厚生年金会館

◎同
オーチャードホール
2010年9月23日

◎キース・ジャレット(p)
東京文化会館
1999年

とにかく好きなんです、キースが。最近は、あまりに聴きすぎたせいで食傷気味なので、たまにしか聴かなくなったけれど。なんだかんだ言って、この人は稀有な音楽家です。


◎ホリー・コール
オーチャードホール

同期入社で音楽好きの女性を連れて2人で行った。
これを期に仲良くなればしめたもの、くらいに考えていたような気がする。でも、いつもクールな彼女は、コンサートが終わっても依然としてクールなままだった。


◎ジョン・ピザレリ&ハリー・アレン、ダイアン・シューア・トリオ他
ゆうぽうと

3つのグループが交代で出てくるという、ミックスあられのようなコンサート。
ピザレリ&アレンのリラックスした余裕の演奏が楽しかった。


◎大西順子トリオ
ブルーノート東京(2回?)

ブルーノートが移転する前に1回と、移転後にも1回行ったような気がする。
大好きな演奏者というわけでもないんだけど。一時期よくアルバムを聴いていた。


◎サイラス・チェスナット・トリオ
ブルーノート東京

これもまた、なんで行ったんだろ。アルバム1枚すら持ってないのに。
たまに見る楽器配置だけど、ピアノを客席から見て右手に置いていた。サイラスは背中を客席に向け、ピアノの前方が時計の2時くらいの方向を向いていた。他のプレイヤーが見えなくて弾きづらくないのかな。


◎ロン・カーター・カルテット
ブルーノート東京

パーカッションのおじさんが、とても楽しそうにやっていたのが印象に残っている。この頃の私は、ロン・カーターというベーシストが、あのマイルスと一緒にやっていた偉大な人なのだという認識が浅かったようで、しっかり身を入れて聴いていなかった気がする。今思い返すと実にもったいない。


◎エルヴィン・ジョーンズ・ジャズ・マシーン
ブルーノート東京

エルヴィン・ジョーンズは年齢が信じられないような圧倒的エネルギーでドラムスを叩きまくり、ほとんど暑苦しいくらいだった。でも偉大なドラマーを生で聴くことができて良かった。

3人の管楽器奏者が、おそろいのヨレヨレTシャツを着ているのがみっともなかった。もっとカッコいい服装でやってほしい。音楽家も芸人なのだから、外観は大事だ。


ブルーノート東京
2014年5月22日

前年のキース・ジャレット・トリオでの最後の来日公演を聴き逃した悔しさを晴らすために(?)行ってきた。若い2人と組んだトリオのせいか、近年のキースとの共演時よりも快活で開放的な演奏に感じた。

*** ジャズ 計15 回 ***


《ポップ/ロック》
◎アラニス・モリセット
東京国際フォーラム ホールA
2004年9月

36歳にして初のロック・コンサート。10代の頃からロックを聴いていたのにね。

ベースの音量ばかりが大きくて、ギターは聴き取りにくいし、ヴォーカルも存在感が薄かった。PAが悪いせいで音楽が楽しめないという悲しい体験。


◎アヴリル・ラヴィーン
日本武道館
2005年3月

実は私、一時期アヴリルが大好きだったのだ。3rdアルバムは能天気すぎてがっかりしたけれど、1st&2ndは今でも時々聴いている。

曲・歌唱力とも、実にしっかりしていて大人である。今度はまた、少し翳りのあるアルバムを作ってほしいものだ。この日のアヴリル嬢はドラムを叩いたりピアノソロに挑戦したりと、いろいろな姿で楽しませてくれた。


ザ・ポリス
東京ドーム
2008年2月14日

まさかポリスを生で聴ける日が来るとは!
とにかく一言、役者が違う。


TOKYO DOME CITY HALL
2014年11月24日

名盤『こわれもの』と『危機』をステージで完全再現というから、これは必聴と思って行ってきた。ポリス同様、腕利きたちが繰り広げる演奏は文句なく楽しい。スケール雄大で華麗な音の絵巻を心から堪能した。


◎シンディ・ローパー
日本武道館
2015年1月20日

私は80年代ロック&ポップで育ったから、今のうちに当時のスターを生で観ておいたら、いい思い出になるなあくらいの気持ちで行った。

感想を正直に言うと、「まあまあ」というところ。大好きな"Time After Time"だって、家でじっくり聴いているときのほうが心に染みる。ロックやポップスのライヴというのは、かなりの部分「お祭り」だと再認識した。生身のアーティストが動いているのを観て、みんなで盛り上がって楽しむものだ。

それにしても武道館という場所は、音楽用に作られていないのだから当たり前かもしれないが、音楽を気持ちよく楽しめるところではない。椅子は狭くて硬く、内部は実に殺風景。肝心の音もたいしたことはないから、さっぱり気持ちが盛り上がらない。今後二度と行くことはないだろう。


TOTO
パシフィコ横浜
2016年3月4日

座ってじっくり聴こうと思っていたら、のっけからみんな総立ちなのでアレッとなった。私は立ってノリながら聴く気など毛頭ないので、開始30分くらいから着席。なのでステージはほとんど見えず。

音圧ばかりデカくて演奏のニュアンスはほとんど聞こえない、ひどい音だった。ロックコンサートなんて、しばらく行きたくないとまで思ってしまった。


国際フォーラム ホールA
2016年4月13日

天下の名盤、"Pet Sounds"をビーチボーイズの中心メンバーであるブライアンさんがステージで再現してくださるというコンサート。いやもう、「素晴らしい」のひと言。

ポップそのものという生き生きとしたサウンドを堪能した。ホール全体にポジティブなエネルギーが満ち溢れているような感覚。稀有な体験をさせてもらった。

*** ポップ/ロック 計7回 ***


《総括》
26年間で50回くらい行っているから、平均すると年に2回。よく行っていた時期とそうでない時期が混在しているから、まあそんなものだろう。

ところで、このエントリをお読みいただいた方の中には、「感想読んでても、この人あんまり楽しんでないじゃん」と思った方もおられるかもしれない。

とにかく私は、家でくつろいで聴く再生音楽が大好きなのだ。そのせいで、生演奏には少し辛めの感想を述べがちになるところがあるのかもしれない。コンサートというのは、基本的にある種のお祭り、イベントのようなもので、そんなにしょっちゅう行く必要を感じないというのが正直なところである。

「やっぱり音楽は生演奏に限りますよ」と言う人は多いけれど、そういう風に感じるのは、ステレオから出るいい音を聴いたことがないせいもあるのだと思う。私はオーディオが大好きなのだが、家でちゃんとした音で音楽が聴けるというのは本当に素晴らしいことだ。

オーディオの技術は日々進んでいる。そんなにバカ高い製品を使わずとも、大人の音楽ファンが真剣に聴き込むに値するサウンドを、現代のオーディオ機器は鳴らしてくれる。もっと多くの人に、ちゃんとしたオーディオを使ってほしい。
一度それを手にしたら、私の言うことの意味をよく分かってもらえるはずだ。いいステレオとは、音楽ファンの生活の質を劇的に向上させる、すぐれて今日的な道具なのだ。

音楽が大好きだけど、もっぱらスマホやPCにイヤフォンやヘッドフォンをつないで聴いているあなた。ここは是非、思い切って30万円、できたら50万円くらいをステレオに使ってあげてみてください。

人生が3割増、いや、ひょっとすると5割増くらい楽しくなりますよ。これ、ホント。

by raccocin | 2016-11-19 17:06 | 音楽とオーディオが好き

PIEGA Premium 3.2 レビュー

2014年春にスピーカーを買い替えて、はや2年ちょっとが経過した。
いい加減に音も落ち着いてきたのでレビューを書いてみよう。我が家はリビングオーディオで、かつ幼稚園児の息子がいるため、ソファに座ってじっくり大音量で聴く機会が時々しか得られなかった。そんなわけで、こんなに時間が経ってしまった、とひとまず言い訳をしておく。

さて、そのスピーカーとは、スイスのスピーカー・メーカーであるPIEGAのPremium 3.2という製品だ。10cmウーファーを2発、それにPIEGA十八番のリボン型ツイーターを搭載した、スリムなフロアスタンディング・スピーカーである。今回はオプションのボトムプレートも追加して、足元の強化を図っている。

ちなみに、このPremium 3.2の前に使っていたスピーカーは、LINNのNINKAである。ペア25万円というお手頃な価格のトールボーイだが、その性能はなかなか優れていた。LINNらしい端正で実直なサウンドで、さまざまなジャンルの音楽をそつなく鳴らしてくれる頼もしいスピーカーだったのを思い出す。

Premium 3.2に買い替えたときのお店での試聴記は、こちらをご覧いただきたい。また製品の詳細なデータについては、代理店であるフューレンコーディネートのサイトを参照してください。

このスピーカーを駆動するのは、2010年に購入したLINN MAJIK DS-I。ネットワークプレイヤーとインテグレーテッドアンプが一体化した、とても使いやすい優れた製品である。NASはQNAPのHS-210Dを使っている。

この2年間というもの、MAJIK DS-Iのファームウェアがアップデートされるたびに音は少しずつ変わってきたし、他にもNASを買い替えたり、スイッチングハブを追加したり、また無線LANルータを交換したり、といったシステム上の変化があった。

当然ながらその度に音は変わってきているので、ここで私が述べるのは、基本的にはこの2年の間の平均的な印象だということを断っておきたい。

まず、NINKAから買い替えての第一印象は、「音が自然で伸びやか」というものである。NINKAは、コクのある音色を持つキリッとした音像を、どちらかというと奥行き豊かに展開するスピーカーだった。しかしPremium 3.2は、例えばヴォーカルやソロ楽器の音像がもう一歩前に出てきて、伸びやかに歌うのだ。そのうえで他の楽器群は一歩引いたところに自然に定位する印象である。

音色は特に高域の刺激感が極小で、ヴァイオリンなどの弦楽器も、きわめて自然かつきめ細やかな質感が特筆ものである。このあたりは、やはりリボンツイーターが効いているのではないかと思われる。

オーディオをやっている人たちの大きな悩みのひとつに、「高域がきつくて聴きづらい」というものがあると思うし、現に私自身も時々悩んできた音の要素である。そうした高域の質感に敏感な人たちに、このスピーカーは特に自信を持ってお薦めできる。

これほど質感の自然な音を出すスピーカーを使うのは私自身初めてで、それだけでも買って良かったと思うくらいだ。全身アルミで作られていてクールな外観なので、温度感も低いのではと想像する人がいるかもしれないが、むしろほんのり「暖色系」と言ってもいいサウンドなのも素晴らしい。

一方、低域も思いのほか充実感がある。10cmウーファー2発では心もとないと考える人も、音を実際に聴いてもらえれば納得してくれるだろう。密度感に優れた、これまた自然な佇まいを持つ低域がスッと出てくる印象で、高域とのバランスもほど良い。さすがにピラミッドのようにどっしりとはいかないが、フラットなバランスの洗練されたサウンドが眼前に展開されるのは、実に快適である。

中域については、輪郭に強調感のない自然な大きさの音像がポッと浮かぶ印象だ。ヴォーカルやソロ楽器は、左右のスピーカーを結ぶ線よりもいくらか前に出たあたりに定位し、伸びやかにリリースされる。

音場については、広がり、奥行き、高さ、それぞれがバランス良く展開する。我が家ではスピーカーと横の壁の間には30cm程しか空間がないし、2つのスピーカーの間には大型テレビも設置してある。そのため、この製品が持つ本来の空間再現性が多少損なわれているのではないかと想像する。

しかし、それでもNINKAより全体的に音場は豊かだし、特に高さの再現性については格段に優れていると断言できる。オーケストラを聴いても、コントラバスやティンパニ、トロンボーンなどの低音楽器が、きちんと高い位置に定位するのは気持ちがいい。

総合すると、とにかく質感や音の佇まいが自然できめ細やか、ほんのり暖かい音色、そしてストレスフリーとさえ言える伸びやかなサウンドが特徴のスピーカーである。

こんなことを書くと、ロックは聴けないのかと思う人もいるかもしれないが、そんなことはない。ギンギンにワイルドな音で聴きたい人には、不満が出ることもあるだろう。しかし、洗練度の高い落ち着いた音でロックをじっくり聴き込みたい人にとって、このスピーカーはロックを聴く新たな楽しみを与えてくれるに違いない。

もちろん、ジャズやクラシックのような生楽器主体の音楽を楽しむのに、この透明感と暖かみを兼ね備えたサウンドはうってつけである。

また、組み合わせるアンプやケーブルなどの選択次第で、かなりカチッとした高密度のサウンドに振ることができそうな端正さも感じさせてくれる製品である、ということは付け加えておこう。

最後に、外観については文句のつけようがないくらいスマートでエレガント。音を出していないときも圧迫感が皆無なので、私のようにリビングに置くのにも最適なスピーカーである。

優れたサウンドと洗練されたインテリア性を併せ持つPIEGA Premium 3.2。買って本当に良かったと思っているし、これからも長く付き合いたいと思わせる潜在能力の高さもうかがわせる。40万円前後の予算でスピーカーを探している人には、是非とも検討してもらいたい製品である。



by raccocin | 2016-07-31 17:08 | 音楽とオーディオが好き

ブライアン・ウィルソンの『ペット・サウンズ』再現コンサートへ

国際フォーラムはホールAにて、ブライアン・ウィルソンのコンサート。ポピュラー音楽界に燦然と輝く天下の名盤、"Pet Sounds - The Beach Boys"を、バンドの中心人物であるブライアンさんが生演奏で再現してくださるという、なんともありがたいコンサートである。思わずチケットを買ってしまった。

前半はビーチボーイズのヒットソングを中心に展開(多分)、休憩を挟んで後半はペット・サウンズを再現。ブライアン御大はだいぶ声が出なくなっていて、高い音域は別のヴォーカリストに受け渡しながら歌っていた。

腕利きの音楽家たちが、最高に豊かで重層的なサウンドを繰り広げるさまは圧巻。ポップって、こういうことなんだなって、しみじみ感じ入ってしまうような音楽だった。

さまざまなホーンや小物パーカッション、ヴァイブラフォンにテルミン…。この多重録音の粋のような音楽を、生身の人間が演奏する様を見ているだけでも楽しい。このアレンジはやっぱり最高。

音質だけでいうなら、正直、自宅のオーディオで聴いてるほうが歪み感もないし、よほど整っていて綺麗な音だ。でも、この日彼らが聴かせてくれた、まさしく"Good Vibrations"が、我が家のオーディオから出ているだろうかというと、首を傾げざるをえなくなってしまう。

とにかく音楽全体からポジティブなエネルギーが放射されて、客席の隅々にまで伝わってくるような、まさしく稀有な体験をさせてもらった。先月のTOTOのコンサートにはガッカリさせられたが、こういうことがあるから、やっぱり生演奏を聴きに行くと、いいことも起きる。

いや、「いいこと」なんて言葉では済まされない。これは「奇跡」と言っても構わないくらいだ。本当に素晴らしかった。

ステージから去っていくブライアン御大の後ろ姿に、「いつまでもお元気で」と心の中で声をかけた。

by raccocin | 2016-04-13 23:59 | 音楽とオーディオが好き

TOTOのコンサートへ

パシフィコ横浜にてTOTOのコンサート。パシフィコ横浜で音楽を聴くのも初めてだし、TOTOをライヴで聴くのも初めてだった。

で、座ってじっくり楽しもうと思って来たら、のっけからみんな総立ちなのでアレっという感じ。TOTOファンは思ったよりもノリたがりの人たちだった。

しかし私にとって、彼らの音楽はじっくり落ち着いて楽しむもの。開始30分くらいから、周りには構わず座って聴いていた。だからステージはほとんど見えなかった。せっかくの生演奏なのに視覚情報がないんじゃ、CDで聴いてるようなものだけど(笑)

しかも、このコンサート、とにかく音が悪かった。ただ音圧ばかりデカくて、ニュアンスもへったくれもない。せっかく上手い人たちが揃っているというのに、実にもったいないと思う。これなら家のオーディオで、もっとバランスが整った音を聴いてるほうが、演奏の上手さも含めて、よほど楽しめる。

コンサートって、行ってみないと良いかどうかわからないし、著名アーティストだとお値段もそれなりだし、ある意味ギャンブルだということを再認識。コンサート通いが好きな人は、そこがまた面白いのかもしれないが。
「しばらくロック・コンサートには行きたくない」とまで思ってしまった。本気でガッカリ。

by raccocin | 2016-03-04 23:59 | 音楽とオーディオが好き

生演奏か再生音楽か 〜再生音楽ラブな私が考える「音楽」と「音」〜

タイトルに惹かれてこのエントリを読んでくださる方は、もちろん音楽ファンでしょうね。それでは早速ですがお尋ねします。

あなたは「生演奏」がお好きですか? それとも「再生音楽(レコード音楽)」がお好きですか?

「何をアホなことを尋ねるのだ。生演奏のほうがいいに決まってるじゃないか」

私が想像するに、こう答える人が世の中の多数派ではないだろうか。しかし私自身はと言えば、もう迷うことなく、自分は「再生音楽」が好きだと答える。もちろん、私も含めてほとんどの音楽ファンが、生演奏も再生音楽も両方楽しんでいることだろう。

ただ多くの人の本心としては、「そりゃ生演奏が一番に決まってるけど、しょっちゅうコンサートに行く時間もお金もないから、普段は次善の策として再生音楽を聴いているだけだ」というところではないだろうか。

しかし私は、ここでひっそりと主張したいのである。
「ちょっと待ってください。再生音楽だって生演奏に負けないくらい素晴らしいのですよ。決して生演奏の代わりに仕方なく聴くようなものでは絶対にありません」と。

当たり前だけれど、どちらが単純に優れているというものではない。でも、まずは話を分かりやすくするため、生演奏と再生音楽のメリット&デメリットを私なりに箇条書きにしてみよう。


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《生演奏》
○メリット
・多くの場合、音がいい(少なくともスケール感や迫力がある)
・演奏者の姿を生で見ることができる
・今、私が聴いている音楽はこの一度きりという「一期一会感」がある
・聴衆と演奏者との一体感がある
・終演後に仲間と語り合ったり、美味しいものを飲み食いする楽しみも追加できる

○デメリット
・ロックなどPAを使うコンサートの場合は音がよくないこともある
・時間をかけて会場まで行かなければならない(運が悪ければ急用などで行けなくなる)
・前々から決まっているアーティストの曲しか聴くことができない
・既に他界している音楽家や解散しているバンドなどは聴くことができない
・チケット代は、たいていの場合CDやレコードよりも高い
・近くにいる客のマナーが悪いときは(うるさい、タバコ臭い、眠りこけるなど)不快にさせられる

これに対して再生音楽のメリット&デメリットは、当然のことながら生演奏のそれをひっくり返したものになるだろう。

《再生音楽》
○メリット
・良質なオーディオを使えば(生演奏とは別の意味で)いい音で聴くことができる
・家にいながらにして、または電車の中ですら聴くことができる
・その日その時の気分に合った音楽を自由に選ぶことができる
・何度でも繰り返し楽しむことができる
・既に他界している音楽家や解散しているバンドなども聴くことができる
・CDやレコードは、たいていの場合コンサートのチケットよりも安い
・不愉快な他の客に楽しみを阻害されることがない

○デメリット
・(特に安価なオーディオで聴く場合)それなりの音でしか聴けない
・演奏者の姿を伴わない、音だけでの鑑賞となる(CD・レコードの場合)
・いつでも繰り返し楽しむことができるため「一期一会感」はない
・ひとりで聴くことも多いため、人と場合によっては孤独感がある
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代表的なところでは、こんなものではないだろうか。私自身、こんな風に両者の特徴を並べて書いてみたのは初めてだけれど、正直に言うと、やっぱり再生音楽っていいなとあらためて思ってしまった。生演奏の持つメリットよりも再生音楽のメリットのほうを、よりありがたく感じているのだ。

最近思うのが、再生音楽のメリットで一番素晴らしいものは、上にも挙げた「既に他界している音楽家や解散しているバンドなども聴くことができる」という、これではないかということ。

どんなに生演奏が好きだという人でも、レッド・ツェッペリンやジミ・ヘンドリクス、マイルス・デイヴィスやビル・エヴァンス、それにカラヤンやバーンスタインの素晴らしい音楽は、いくら聴きたいと思っても生演奏で聴くことはできない。当たり前だけれど、もう亡くなっていたりバンドが解散したりしているからだ。

そうした、もう生演奏では聴きようがないないけれど最高に素晴らしい音楽たち、それらを今でも聴けるようにしてくれているのが、他ならぬ録音技術というものである。これはもう、どれほど感謝してもし尽くせないくらいの偉大な技術だ。もしもタイムマシンがあったら私はエジソンのもとに飛んで行って、熱烈なハグと感謝のキスを浴びせたい。そんなことを考えてしまうくらい、どエラい技術だと思う。

19世紀までだったら、ものすごい王侯貴族であっても生演奏でしか音楽を聴けなかった。しかし現代に生きる音楽ファンは、私のような庶民でも、好きなときに好きな音楽を聴くことができる。あらためて考えてみたら、とてつもない贅沢を手にしているのだ。現代人は、いつでも音楽が聴けることを当たり前に思ってしまいがちだけれど、それはとてもありがたいことなのだ、ということは常に忘れないようにしたい。

ところで、上に書いたメリット&デメリットをどのように捉えるかによって、音楽ファンも3種類くらいに分類できると私は思っている。


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1 生演奏が大好きで、実際コンサートには足繁く通っていつも感動している。また音楽ソフトもたくさん所有しているのだが、いいオーディオで聴いた体験が少ないため再生音楽の楽しさを過小評価している(リア充?)

2 再生音楽のメリットを正しく理解し、いい音で聴けるように良質なオーディオや音楽ソフトを所有しているが、出不精である等の理由で生演奏はあまり聴かない(オタク的。私はここ)

3 生演奏と再生音楽双方のメリットを正しく理解し、いい音で聴けるよう良質なオーディオと音楽ソフトを所有しながら、同時にコンサートにも足繁く通う(理想的。尊敬します)
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いかがだろうか。もちろん、この3種類のどれかにピッタリ当てはまる人ばかりではないだろうが、類型としてはこんなところではないかと思う。

私もいつの間にか40数年生きてきて、その間いろいろな人間を見てきたけれど、理想的な「3」に当てはまりそうな音楽ファンというのは本当に少ない。まあ、かく言う私自身が「2」に当てはまるので、偉そうなことは言えないのだけれど…。

そして自分で言うのもなんだが、「2」の人たちというのは、他人から何を言われても態度に大きな変化はないだろう。私自身、回数はとても少ないけれど今までに50回くらいコンサートに行ってきた(私の「コンサート歴」はこちらで)。それでも、あえて再生音楽のほうが好きだというのには、持って生まれた性分もあると思う。私だって高校生くらいまでは別に出不精でもなかったけれど、小学生の頃から「いつかは自分のステレオが欲しい」と強く思っていたからだ。

そして「3」の人たちときたら、私ごときが言うことは何もない。今までどおり「生演奏」の素晴らしさと「再生音楽」の素晴らしさを両方とも存分に堪能して、リッチなミュージックライフを過ごしていただきたい。

そんなわけで、私が本当に語りかけたいのは「1」の人たちなのである。コンサートに足繁く通うと同時に音楽ソフトもたくさん所有しているのだが、そのソフトを再生する肝心のオーディオには手頃な価格のものを使っている人たちである。

もちろん、「1」の人たちがコンサートからたくさんの感動と音楽的体験を得ているのは素晴らしいことだ。そして、たいていの場合、熱心なコンサート・ゴーアーというのは音楽ソフトもたくさん所有していることが多い。だから再生音楽からも多くのものを得ているのに違いない。

しかし、ここで私が言いたいのは、「いいオーディオを使って聴いたら、もっともっと、想像する以上にミュージックライフが豊かになりますよ」ということである。

家にいながらにして、いい音で音楽が聴ける。これは一度やればわかってもらえるが、本当に素晴らしいことだ。音楽が好きな人なら、必ず今よりも幸せになれると私は断言する。コンサートに出かけるためのお金を少し節約して、いいオーディオを買うために貯金するくらいの価値は絶対にある。

食に例えるなら、生演奏は「外食」、再生音楽は「おウチご飯」と言える。外食はもちろん美味しいし楽しい。でも多くの現代人にとって、基本はやはり「おウチご飯」と言うべき「再生音楽」だろう。家でもいい音で音楽を聴くということは、この「おウチご飯」がぐっと美味しくなるということなのだ。

私の知り合いで、ごく頻繁にコンサートに出かけて楽しんでいる人がいる。私などはその行動力に感心するばかりなのだが、やはり彼もオーディオにはこだわりがないようだった。それで、私が「もうちょっといい装置で聴いてみてはどうか」と勧めてみたことがある。

すると彼はこう答えた。「オーディオってさあ、やっぱり専用の地下室とか作って、300万円くらいかけないとダメなんじゃない?」

私は、そんなことはない、6畳間でもリビングでも楽しめるし、それに300万円もかけなくたって十分に楽しめるのだと言いたかったが、そこにはなんとなく反論しにくい空気があった。

その知人は、オーディオなんて面倒なものには首を突っ込みたくないからと自ら高いハードルを設定して、できるだけ距離を置こうとしているかのように見えた。もしかしたら、一度いいオーディオを買ってしまうとドツボにはまってしまい、抜けられなくなるのではないかと恐れていたのかもしれない。

しかし、地下室なんて持っている必要はないし、300万円もの大金をかける必要もない。それは断言できる。もちろん地下室を作ったり300万円かけている人を否定はしない。そうしないと得られない世界があるのは承知しているけれど、彼らは放っておいてもオーディオの楽しみを深く追求できる人たちなのだから、まあ自由にやってもらえばよい。

とにかく、いわゆる「オーディオマニア」になる必要はないし、一度いいオーディオを買ったら最後、あとはマニアの道をまっしぐらになるわけでもないから、どうぞ安心していい装置を買ってくださいということだ。

実際のところ、「大人の音楽ファンが気持ちよく音楽を味わえる音」という意味の「いい音」ならば、さして苦労もなく出せるのが現代のオーディオ機器なのである(もちろん組み合わせによります)。

ところで、ひと口に再生音楽と言っても、クラシックやジャズのようなジャンルと、ロックやポップなどポピュラー音楽のジャンルとでは、CDやレコードの持っている基本的な性質からして、ちょっと違うと思う。

クラシックやジャズなどは、アルバムのレコーディングが数日間で終わってしまう。どちらかというとこれらのジャンルのCD(レコード)は、「お客さんを入れない状態でやった生演奏の記録」みたいなところがあるだろう。

ところがロックやポップスなどは、もっと時間をかけてじっくりレコーディングを行うし、その内容だって単に生演奏の記録というよりも、あるコンセプトに基づいて制作された「独立した作品」という趣がある。それと、ロックのコンサートというのは、必ずしも音がいいとは限らない。

だからこそ、家でCDやレコードを楽しむとき、いい音で聴くことができたら、それはコンサートで体験する熱狂とか一体感とは全く別種の、とても個人的で豊かな音楽的体験をもたらしてくれるのだ。

私自身はロック、ジャズ、クラシック、エレクロトロニックなど、いろいろなジャンルの音楽を聴いているけれど、いい音で聴く音楽はどれも本当に楽しい。だからクラシックやジャズの愛好家はもちろん、ポピュラー音楽の愛好家にも、もっとオーディオの素晴らしい世界に入ってきてほしいと切に願っている。

どんなオーディオを買ったらいいかということについては、また折を見てコンパクトにまとめたものを書いてみたいと思う。ちなみに現在までの私のオーディオ遍歴については、こちらに書いてあるので興味のある方は参照してください(ただし、どれも長文ですのでご了承を)。

またもや悪い癖で長くなってしまいました。貴重な時間を割いて最後まで読んでくださった方、本当にありがとうございます!

by raccocin | 2015-12-27 17:51 | 音楽とオーディオが好き

定額制音楽ストリーミングについて、というか素晴らしすぎるApple Musicについて

ご存知のとおり、アップルが満を持して定額制音楽ストリーミング・サービスに参入した。日本でも今月1日からサービスを開始した”Apple Music”である。世間では、早くもドハマりしている人が続出しているようだ。その一方で、やや懐疑的な人もいるらしい。私はと言うと、ご多分にもれず、かなりハマってしまっている。

今さら私ごときが言うのもなんだが、音楽を聴く手段は、かつて主流であったレコード、カセットテープ、CDといったフィジカル(物質として存在するモノ)から、デジタル(ダウンロード、ストリーミングといったデータのみを扱うもの)へと大きく変わりつつある。

ところで、かつての私は、それなりにCDを買っていた人間である。そのピークは97年と98年で、年間100枚くらい買っていた。97〜98年というと、世界的にCD売上数がちょうどピークに達していたときだ。これは単なる偶然なのだけれど、私も世の中のCD売上数向上に貢献していたことになる。

私は1995年秋に単品コンポで初めて組んだオーディオシステムを手にしていて、97〜98年あたりは、音楽をいい音で聴くのが楽しくてたまらない時期だったのだと思う。しかし99年に、もっといい音を求めて機器を買い替えた結果が失敗に終わり、音楽を楽しい音で聴けなくなってしまった。その結果、99年からソフトの購入量が減ることになる(2001年にLINNのフルシステムを購入して立ち直る)。

その後、私は結婚をして、よくある話だろうが月々のお小遣い制に変わり、独身の頃のようには音楽ソフトにお金をかけることができなくなった。つまり、手持ちのソフトを大事に繰り返し楽しむことが基本になっていったのである。

その後もしばらくの間、音楽ソフトを買う場合は相変わらずCDを選んでいた。当時、既にiTunes Storeは始まっていたけれど、ダウンロードでデータだけ買うのは味気ないと思っていた。

なによりも、結構な価格のCDプレイヤー(LINN IKEMI)を持っていたことが大きいだろう。もしもMacから取り出したデータを再生して、手持ちのCDプレイヤーを超える音質を得ようと思ったら、DACなどの機器を新たに買い足す必要もあった。それらの手間と追加費用が、私にダウンロードを選ぶことをためらわせていたと思う。

結局、私が初めてダウンロードで音楽を聴くのは、2010年にLINN MAJIK DS-Iを買ってからだった。このDAC一体型のインテグレーテッドアンプとNASを接続して、NAS内に格納した音楽ファイルを再生するというオーディオシステムを新規に構築したのだ。つまり、データで音楽を聴かざるをえない環境を自ら作ったとき、ようやく重い腰を上げてダウンロードというものを利用したに過ぎない。

MAJIK DS-Iを買うときにCDプレイヤーは手放してしまったので、あれから今日までの5年間、私がCDを手にするときというのは、すなわちMacでリッピングをするときだけになっている。iPhoneやMacを使ってNASから聴きたい音楽を気軽に取り出す生活は、すっかり家族の中に浸透している。これは慣れてしまうと、もう二度と後戻りできない快適さで、私はこのやり方を心から愛するようにさえなっている。

そうやって音楽を聴くようになってからは、音楽ソフトを買うときも、極力ダウンロードを選ぶのが習慣になった。データだけ買うのが味気ないという気持ちは、まったくなくなったわけではないけれど、CDを買ってきても収納するスペースがないのだから、そこは割り切るほかない。実際のところ、今は割り切ることにすっかり慣れてしまった。

もちろん、iTunes Storeで買えるのはAACの圧縮音源だから、CDを買ってきてロスレスでリップしたときより音質的に劣ることは承知している。しかし、iTunes Storeからダウンロードした音楽の音質に、私はほとんど不満を持っていない。これは十分に音楽を楽しめる音だと思っている。

10年くらい前の私に比べると今の私は、音質について細々としたことを気にしなくなってきたという側面もある。音が悪いことが気になってしまって音楽に集中することを妨げられるようでは困るが、そこを最低限クリアしているならば、それで良しとしているのが今の私なのだ(そうは言っても、オーディオに投入されているお金はアクセサリー類を含めると、ほぼ100万円。世間的には音質にうるさい人間と分類されてしまうだろう)。

そんな風に、ダウンロードで音楽を楽しむことが世の趨勢になりつつあったところに現れた新しいサービス、それが定額制音楽ストリーミングである。

勉強不足の私とはいえ、Music Unlimitedなど先発の定額制音楽ストリーミング・サービスの存在は知ってはいた。ただ、なぜか触手を伸ばすことはなかったのである。Music Unlimitedには手を出さずにいたのに、Apple Musicに手を出すのはなぜかと問われれば、もうそれはアップルがやってくれるサービスだから良いに違いないという、ブランド主義的とも言える信頼感である。

しかしアップルがブランドであるのは、ブランドでいられるだけのことを実際にやっているからであって、まさに今回のApple Musicは、我々の音楽への接し方を大きく変えてしまうくらいのインパクトがあると思う。

7月1日に早速iOSをアップデートし、Apple Musicを使ってみて2週間弱。正直、どうしてこういうものが自分の若い頃に存在しなかったのだろうと歯がゆい思いに駆られるくらい、これは素晴らしいサービスである。

まず、For Youに日替わりで届けられるオススメが楽しい。アカウントで、自分の興味のあるアーティストを登録しておくと、私が好んで聴きそうな様々なジャンルのプレイリストやアルバムを提案してくれるのだ。

これを書いている間も、『レディー・ガガが影響を受けたサウンド』、『Miles Davis: The Columbia Years』といったお薦めプレイリストを聴いている。知っている曲(演奏)と知らない曲(演奏)がブレンドされている塩梅が、またちょうどよい。知っている曲ばかりでは張りがないし、かと言ってすべて知らない曲だと親しみが湧きにくい。

もちろんこんなのは偶然に違いないのだが、まるでこちらの音楽体験がどの程度なのか知っていて薦めてくれているような錯覚に陥るのだ。早くもApple Musicに絡めとられている自分に気付いて笑ってしまう。

自分の保有するライブラリの中から主体的に選んだ音楽を聴くのは、もちろん楽しい。しかし、数千枚単位でレコード・CDを持っている人ならともかく、私のようにたかだか数百枚しか持っていない人間からすると、自分のライブラリにこだわっていたら、聴くものがすぐにパターン化してしまう。

自分が所有していない音楽を聴く方法は、今までにもラジオやYouTubeなどがあった。それらとApple Musicが決定的に違うのは、「アルバム単位で聴ける」、「あるテーマに沿った聴き方ができる」、「多様なジャンルの音楽に触れられる」といった点だろう。

ラジオは通常、アルバムから切り離した1曲単位でプレイされ、インターネットラジオならジャンルも局ごとに限定されてしまう(Eclecticな局を除く)。放送のラジオならジャンルは多様なものがかかるが、トークやCMなども多いから音楽鑑賞に集中できない。

一方、YouTubeの場合、やはり多くは1曲単位で登録されているし、何と言っても映像というある意味余計なものが付いてくるので、音楽だけを聴きたい人には都合が悪い(ディスプレイを消しておけば音楽だけ聴けるけれど)。

その点、Apple Musicの場合、For Youに届くオススメもアルバム単位なのが大きな利点である。ジャケットだけは何度も目にしていながら、いまだに聴いていない名盤もたくさんある私にとって、これはとてもありがたいサービスだ。プレイリストについても、あるテーマに沿ったコンピレーション・アルバムとして聴くことができる(実際にプレイリストの多くはCD1枚に収まるような長さである)。

エレクトロニックに興味があるとアカウントで設定しておいたら、普段耳にすることがないアンビエント・ミュージックなども薦めてきてくれて、早速、音楽の世界が広がってきているところだ。

もしも気に入ったプレイリストやアルバムがあれば、My Musicに追加すればいつでもアクセスできるし、またオフラインで聴くためにローカルへ保存することができるのも嬉しい。

その結果、ラジオやYouTubeでありがちな「つまみ食い感」や「ながら聴き感」と距離を置いた、よりピュアな音楽体験が可能になるのだ。

自分で主体的に検索をしなくても向こうからオススメが毎日やってくるというのは、私のようにずぼらな音楽ファンにとって、ものすごく大きなメリットだ。ある程度は知っていると思っていた洋楽ロック、ジャズ、クラシックなども、毎日For Youを眺めていると、自分の知っている曲やアルバムなどが、この広大な音楽宇宙の中ではごく一部に過ぎないことを痛感する。

Apple Musicとは、ソクラテス先生の言った「無知の知」を現代の音楽ファンに体感させる装置になるだろう(笑) 私自身、自分の持っているわずかなCDライブラリにこだわる気持ちが、すっかりどこかへ吹き飛んでしまった。

「音楽を所有する」から「音楽にアクセスする」接し方へ変わりつつある時代の流れに、私も遅ればせながら乗せてもらった感がある。

Apple Musicは、現代の音楽ファンにとってのライブラリ、つまり巨大な「音楽図書館」になることは疑いようがない。しかも、それがたったの月980円で利用できるというのだから、なんだか申し訳なくなってくるくらいだ。

もちろん、他社も定額制音楽ストリーミング・サービスを実施していて、それらと比較していないのだから、私がここで書いていることは冷静な分析というよりも、単なるアップル好きのオッサンが興奮して書いた思い込みという面もあるかもしれない。

海外に目を向けてみると、同じく月10ドル程度でサービスを提供するSpotify、またCDと同等の音質で月20ドルというTIDALなど、これらがいつ日本に上陸するかも注目だし、国内で先発のAWAやLINE MUSICだって、それぞれ特徴があるに違いない。

ところで音質と言えば、Apple Musicの256kbpsというビットレートについては、個人的には「可もなく不可もなく」といったところである。試しに”Led Zeppelin - Whole Lotta Love”を、初めにApple Musicで聴き、次にNASに格納したロスレスファイル(CDからリッピング)で再生してみた。使用機器は、LINN MAJIK DS-IとPIEGA Premium 3.2のコンビだ。

その結果、静けさ、音像の立体感、エネルギー密度、音のキレ、空気感など、多くのファクターでApple Musicはロスレスファイルに負けたが、それも比較するから分かることであって、初めからApple Musicしか聴かなければ、たいていの人は「いい音」だと満足するに違いない。

そもそも音質などというのは、音源とハードの相互作用で決まるのであって、「256kbpsなんてダメ」とか、「ハイレゾこそ現代の標準」とか、「いやいやアナログこそ最高」とか言ってみても仕方がない。

変な話、我が家の100万円のオーディオでハイレゾ音源を聴いた音より、1,000万円のオーディオでApple Musicを聴いた音のほうが、間違いなく優れているはずである。もしも1,000万円オーディオ氏から、「お前、そんな低レベルの音で聴いてちゃいかんよ」と叱られたら、私はどうしたらいいのだろう。

いや、別にどうもしないのだが(笑)、音がいいとか悪いとかいうのは、しょせんそういうことなのだ。その人自身が、音楽を楽しむうえで不足がないと思える音で聴ければ、それでよいのである。他人がつべこべ口を出す問題ではない。

その点、Apple Musicは私にとって十分である(※)。透明感がどうとか、質感がどうとか、うるさいことを言おうと思えばいくらでも言える音質ではある。しかし、少なくとも聴き手が音楽を楽しむことを妨げるようなものではない。おそらく世間の多くの人々がそう思っていることだろう(そもそも、この256kbpsというのは、現在のiTunes Storeで配信されている音楽のビットレートと同じである)。

もちろん、この素晴らしいサービスがさらに高音質で提供される日が来たならば、みんな素直に喜ぶに違いないが、現時点の音質でも一般的な意味で不足はないはずである。

以上、For Youの機能に限定して思うところを書いてみた。もちろん、既に聴きたいものが決まっているなら自分で検索をすればいいし、他にもRadio、Connectといった機能が用意されている。For Youしかほとんど使っていない私でもこれほど楽しんでいるのだから、もっと使いこなしていったらどうなってしまうのだろうと、思わず期待が膨らんでしまう。

特に、音楽ソフトに無尽蔵にお金を使えるわけではない多くの人々にとって、Apple Musicはもはや「福音」、「奇跡」と言っても大袈裟ではないだろう。まさに時代の変わり目に自分はいるのだということを、しみじみと考えさせられてしまう。

使っているうちに、また違った思いが湧いてくるかもしれないけれど、もうしばらくの間は、何も考えずにApple Musicがもたらす恩恵に浸っていたい。そんな気持ちにさせられるくらい、これは革新的なものだ。

*定額制音楽ストリーミングがミュージシャンやレコード会社など、音楽の作り手や売り手に及ぼす影響については、まだまだ不透明な部分も多いため今回は触れませんでした。


※このエントリを書いたときには、「Apple Musicの音質は自分にとって十分である」と考えたみたいだけど、最近では「やっぱりCDをロスレスでリップした音のほうが全然いいなあ」とあらためて感じている。両者の違いは、上のツェッペリンでの比較の際に感じたような部分である。

おかげで近頃の私は、また少しずつCDを買うようになっているのだ(リッピングを終えたら即ソフトケースに入れ替えて収納スペースを節約している)。

知らない曲や演奏を試し聴きしたり、電車の中でながら聴きするときなど、Apple Musicはたいそう便利なのは間違いない。でも、それで気に入った音楽があったらCDなりハイレゾなりで買って、じっくり聴くに値する音質で所有しておくのが、今のところ一番いいような気がしている。
(2016/1/1追記)

by raccocin | 2015-07-12 16:04 | 音楽とオーディオが好き

中耳炎の治療が長引いたので、治療の経過を記録する

うーん、今回の中耳炎はなかなかすっきり治らなくて、憂鬱だ。また次に中耳炎になったときの参考のために、治療経過を書いておこう。

さて、初めに耳の調子がおかしくなったのは、およそ1か月前の5/15頃。急に右耳に詰まり感が出てきた。私の場合、おかしくなるのはたいてい右耳と決まっている。昔かかっていた耳鼻科の先生に、私の鼻の通り道は右側が少し狭くなっていて、そのせいで右の鼻の方が詰まりやすいのだと説明されたことがある。

右の鼻腔の奥に炎症が起きやすい → 耳管の咽喉側の出口も炎症が起きて腫れやすい → 時々、中耳に水が溜まって、聞こえが悪くなる

まあ、こんなメカニズムらしい。らしいというのは、かなり前にそのようなことを他の耳鼻科医から聞いた覚えがあるというだけだからだ。まさに素人のうろ覚えで、医学的に正確な理解であるかは非常に疑わしいから、あまり信用しないでくださいね。ちなみに、今回の症状について、現在のかかりつけ医は、このような説明を一切していません。

さて、話は戻って中耳炎発症時のこと。初めは、また右耳がおかしいなあと思っていただけだったけれど、急激に詰まり感はひどくなるし聞こえも悪くなり、さらには痛みまで出てきたので、これはヤバいと思った次第。そこで、5/16(土)、職場の近くの耳鼻科に駆け込んだ(休日出勤していたため)。

まずは抗生剤(セフジトレンピボキシル錠100mg 6錠/日)と抗炎症剤(カルボシステイン錠250mg 6錠/日)が処方された。しかし翌17日(日)には熱が39度まで出て、めまいまで加わったので、今回の中耳炎は手強いなという印象を持った。あまりに具合が悪いので、午後はかなりの時間、ベッドで安静にしていたくらいである。

とりあえず1週間分の薬を飲みきってみたものの、痛み以外の詰まり感と聞こえの悪さは変わらない。そこで5/22(金)、昔から通っているかかりつけ医に治療の続きを委ねることにした。そのクリニックで鼓膜の画像を見せてもらうと、右のみならず左まで、少し黄色っぽく見える。中耳に膿みが溜まっていたのだろう。

先生は、右の耳管に空気を通す通気治療をしてくれたが、空気はほとんど通ってくれなかった。薬は抗生剤(クラリスロマイシン錠200mg 2錠/日)と抗炎症剤(カルボシステイン500mg 3錠/日)に加えて、鼻の炎症を抑える薬(商品名ディレグラ 4錠/日)が7日分処方された。

5/23(土)、25(月)にも通院して通気治療を受けた。少しずつ空気は通るようになったけれど、詰まり感も聞こえの悪さも、わずかに軽快しただけ。そうこうしているうちに発症から2週間が経過したが、ここまで症状が長引くのは初めてなので焦った。

そして5/29(金)、中耳に溜まった膿みを吸い取る手術を受けることにした。手術と言っても、大袈裟なものではない。麻酔は、耳の中に薬を注入した後15分ほど横になっていれば完了。手術については、いつもの診察台に座った状態で行い、ものの5分程度で終わってしまった。その間、まったく痛くも痒くもない。

要は鼓膜に小さな穴を開けて、鼓膜の奥に溜まった膿みを吸い取るだけだ。ただし、ひとつ驚いたことがある。それは、鼓膜に空いた小さな穴のところに、緑色のシリコンで作られた、ごく細いチューブを留置したことだ。チューブと言っても長いものではない。

ディスプレイに写し出された鼓膜の画像から推測するに、太さは3mm程度だろうか。長さについては、鼓膜の外側に露出しているのが、これまたせいぜい3mmくらいに見える。チューブが鼓膜の内側に向かってどれくらい出っ張っているのかは、質問しなかったので分からない。

このチューブは、少なくとも数ヶ月はこのまま留置したままにすると先生は言う。急いで外すようなことは、まずしないらしい。場合によっては何年もそのままにしておくのだとか。ちょっとビックリしてしまった。いつ頃から、このようなチューブを鼓膜に留置するという技法が広まったのだろうか。今度、先生に聞いてみたい。

それはともかく、施術後の右耳の通りは素晴らしく改善したし、聞こえも良くなった。むしろ今度は左耳が詰まって感じられるほどの劇的効果である。私はホッとした。こんなことなら、サッサと手術を受ければ良かったと思ったくらいだ。

ところが喜びも束の間、家に帰ってきてひと呼吸置いた頃には、またもや右耳の詰まり感が復活してしまった。ただし、聞こえについては、改善された状態をほぼ維持していた(ちょっと不思議)。

手術時に処方された3日分の抗生剤(セフジトレンピボキシル錠100mg 3錠/日)を飲みきって、6/3(水)に再受診した。鼓膜の周囲に耳垢(というか中耳から浸出した液だろうか)が付着していたので、きれいに清掃してもらった。留置したチューブは安定していて、中耳から新たな膿みも出ていないらしい。この日から薬は処方されなくなった。

ついでに言うと、この日から飲酒の許可が下りたのが、とても嬉しかった(笑) 
中耳炎を発症してからというもの、飲酒はずっと自粛していたのである。基本的に、体に炎症があるとき、酒は飲まない方が無難である。

手術後の状態も安定していたし、実際に少しずつ詰まり感、聞こえともに日々改善されていくのを実感した。そこで満を持して、聞こえ具合をより詳細にチェックするため、ヘッドフォンで音楽を少し聞いてみた。

古いジャズのモノラル録音を聞くと、ベースがやや左に定位してしまうのを除けば、他の楽器は、ほぼセンターに定位する。

不思議なのはクラシックの聞こえ方。オーケストラでは、コントラバスの音が、通常きこえるべき「センターやや右」だけではなく、「やや左」からも聞こえてくる。まるで左右2か所にコントラバスが配置されているかのようだ。注意深く聴くと、どうやらアタックの音は正しく「やや右」から聞こえるのに、その後の余韻というか響き、これが「やや左」から聞こえてくるように感じる。

アタックは本来の位置から聞こえてくるのに、その後の響きは左から聞こえてくるということは、低音については、ある程度の音量がないと右耳では感知できなくなっているのかもしれない。ジャズやロックを聴いても、やはりアタック音はセンターから聞こえるので、私はきっとそうに違いないと確信した。

そして本日6/13(土)、10日ぶりに耳鼻科にかかり、「だいぶ聞こえるようになったけれど、低音がよく聞こえていないようです」と説明した。すると、先生はこう答えた。

「うーん、低音はねえ、鼓膜に重みがかかるから、チューブ入れてるとちょっと聞こえにくくなるんだよね」

すると、このセンターやや左からベース音が聞こえてくるという状態に、ずっと甘んじていなければならないのだろうか。私はギターやキーボードより、ベースやドラムスのほうがどちらかというと好きという人間なので、ベースの音に不満を抱きながら音楽を聴くという状態は、たぶん相当につまらない。私は、ちょっぴり暗い気分になってしまった。

ところがだ。家に帰ってから、今度はスピーカーで音楽を聴いてみた。すると、ヘッドフォンで聴いたときとは印象がまったく違う。右耳は全音域でしっかり音が抜けているのに、左耳は何かこもったような感じで抜けが悪い。何のことはない、原因は右耳ではなく左耳だったのである。左耳で、特に低音域における抜けが悪いので、センターやや左から一瞬遅れてベース音が聞こえてくるように感じるだけだったわけだ。

たしかにこの数日間、モノを飲み込むたびに、左耳から「パチッ」という耳管が開くとき特有の音が聞こえていたのを私は思い出した。私は、耳の調子があまり良くないとき、嚥下時に耳管が開く音がよく聞こえるのだ。

つまり、現状は右耳の方が聞こえは明晰で、むしろ左耳の方がこもって抜けが悪い状態になっているということを、ようやく私は理解した。

しかし、今日、先生は私の両耳をちゃんとチェックしてくれている。そして左耳に何か問題があるという指摘は受けていない。つまり、少なくとも治療を要する状態ではないのだから、もう少し様子を見ていれば左耳の調子も改善し、低音の抜けの悪さも軽快していくのではないか。

という、私としては珍しく楽観的な観測を今はしているところだ。もしも、なかなか良くならないようなら、例の通気治療をやってもらって左耳の通りを改善してもらおうと思っている。

* 以上、現在までの治療経過です。今後のことについては、適宜追記していく予定。


6/20(土)
近所の耳鼻科へ。左の鼓膜は少しくぼんだ状態とのこと。これがもっと悪くなると膿みが溜まってくるのだそうだ。とりあえず通気治療をしてもらう。すぐにスースー空気が通る音がはっきり聞こえた。状態が悪いときは、なかなか空気が通ってくれないから、そんなにひどい状態ではなさそうだ。薬はカルボシステイン500mg(3錠/日)が7日分。

試しに音楽を聴いてみると、通気前に比べれば、少しだけ左耳の抜け感が向上したようだ。しかし、まだベースが左側に尾を引く。もう何回か通気治療を受けて様子を見よう。ああ、早くスッキリしたいな。

6/22(月)
かかりつけの耳鼻科へ。音楽を聴くと、センターから右側がやけにクリアーで情報量が多く、左側は曇っていると言ったら言い過ぎだけれど、右に比べると抜けが悪いので気持ちが悪い。音量的な意味でのバランスも、やや右寄り。右耳に関しては、中耳炎になる前よりも聞こえがいい気がするくらいだ。

なわけで、左耳に空気を通してもらおうと思ったら、「鼓膜に所見ないですよ。いいんじゃないですか」と先生。あれっ、おかしいな。でも、やっぱり喜ぶべきなのか。少なくとも医学的には、左右の耳とも問題ないことが分かった。しかし、オーディオ的・音楽的には、まだ問題がある。さて、どうしよう。

by raccocin | 2015-06-13 20:16 | 何と言っても美容と健康

音楽ファイルのタグ(特にジャンル)について、またはマルチジャンルを聴くこと

私がLINNのアンプ一体型ネットワークプレイヤー、MAJIK DS-Iを買ったのが2010年の5月。つまり、もうすぐ5年が経過する。しかし、リッピングをサボりまくっているせいで、NASの中に入っている音楽は、アルバムで言うと、まだ300に到達していない。恥ずかしい限りである。

最近は、週末になると最低でも3枚はリッピングするようにしているのだが、我が家にはあと400枚くらいのCDがある。ざっと計算すると、もう2年半くらいかかって、やっとすべてのCDリッピングが終了するわけだ。MAJIK DS-Iを買ったときには、まさかここまで時間を食うとは思いもしなかった。

この調子でいくと、リッピングが終わったとき私は49歳になっている。ウーン。なんか、「40代を通じて関わり続けた一大イベント」って感じになっちゃいそうだな。まあ仕方ない。思うようにいかないのが人生なのだ。

さて、まだ300に達していないとは言いながら、それくらいの数のアルバムがNASの中に入っていると、やっぱり気になることが出てくる。私の場合、それはタグ情報である。特にジャンルについてだ。

音楽ファイルのタグ情報にはいろんなものがあるけれど、アーティスト、アルバム名、曲名などは、事実の通りに入れるだけだから、何かを考える余地は少ない。しかしジャンルについては、自分が使いやすいようにカスタマイズする人も多いと思う。

例えばクラシック音楽なら、単に”Classical”とするのではなく、さらにその中でも”Piano”、”Orchestral”、”Opera”などに細かく分けるのだ。私の場合、今のところは単に”Classical”である。今後、もっとリッピングが進んでくると、もしかしたら不都合が生じるかもしれないけれど、そのときはそのときで対処すればいいとタカをくくっている(ちょっと怖い気もする)。

ジャズだって単に”Jazz”なのか、それともバンドリーダーの楽器を中心にして、”Trumpet”、”Saxophone”、”Piano”などと分類しておくのか。私はと言うと、これまた単に”Jazz”(笑)
まあ、私が持っているジャズアルバムの数などたかが知れているから、全部リッピングを終えたとしても、TwonkeyMediaの「ジャンル/アーティスト/アルバム」あたりから入れば、お目当てのアルバムはすぐに見つけられるからいいだろう。

さて、次はロックである。私はリッピングを始めた頃、MaxというMac OS向けのリッパーを使っていた。このMaxは、iTunesも提供を受けているGracenote社のCDデータベースを参照し、そのメタデータを音楽ファイルに埋め込む機能を持っていた。この機能を使えば、そのアルバムがどのジャンルに属するのかについては、iTunesでリッピングしたときのデフォルトのものと同じになるわけだ。それで私は、「まあGracenoteが”Rock”と言うなら”Rock”、”Pop”と言うなら”Pop”にしておくか」という、実にお気楽な方針を採用していた。

それでも時々疑問に思うことはあった。例えば、Alanis Morissetteは”Rock”なのに、Avril Lavigneが”Pop”になるのは何故なのか。Duran Duranは”Rock”なのに、Fleetwood Macが”Pop”になるのは何故なのか。

アラニスがロックなら、アヴリルだってロックでいい気がするし、デュランデュランがロックなら、フリートウッドマックだってロックでいい気がしてしまう。もちろん、その逆に、両方ともポップということにしたっておかしくはない。一体何を基準にロックとポップを分けているのか、不思議でならなかった。

他にも、”Alternative”、あるいは”Indie Rock”などのジャンルが割り当てられるアルバムがある。これまた、何をもってオルタナティヴとかインディーズとか判断しているのか不思議だ。私は、Maxをひとしきり使った後で、X Lossless Decoderという、これまたMac使いの間でメジャーなリッパーに鞍替えしたのだけれど、相変わらずジャンルについては、さほど意識的でなく、基本的にはリッパーお任せにしてしまっていた(今は割り切ってiTunesを使用)。

ところが、あらためて冷静にNASの中を眺めてみると、ジャンルがおかしなことになっている。”Alternative”、”Alternative & Punk”、”Dance & House”、”Electronica”、”
Electronica/Dance”など、似たようなジャンル分けが併存してしまっているのだ。今までは見て見ぬふりをしていたけれど、一度気になり始めると、どんどん気になっていくのが人の常、というか私の常。

だから、これを機にジャンルを整理しようと考えた。まず決めたいのは、あえてシンプルに、言い換えれば大雑把にジャンルを設定するのか。それとも細かく分けて設定するのか。私は元々、ジャンルを細かく分けることに共感できない人間でもあるので、ここはシンプル派でいこうかと思っている。

ジャンルと言えば、いつだったか、ディスクユニオンのロック館に行ったときのことだ。私はお目当てのバンドのCDを探そうと思ったのに、あまりに細かくジャンル分けがされていたために、そのバンドのCDがどこに並べられているのか分からず、結局見つけ出すことができなかった。

私にとって音楽ジャンルというのは、それに沿ってCDを並べておくと探すときに探しやすい、というくらいの意味しか持っていない。それなのに、そのジャンル分けのせいで、自分の欲しいディスクを見つけ出せなかったのだから、このディスクユニオンの細か過ぎるジャンル分けは本末転倒としか思えなかったのだ。

あれは、単に物事を細かく分類・整理するのが好きでたまらない人が、同種の性向を持つマニアに向けてやっていることで、私のようにジャンルについて大雑把な考え方をする人間には、ありがた迷惑でしかない。

かつてデューク・エリントンが言ったように、音楽には「いい音楽と、それ以外」しかないのだ。大切なのはジャンルよりもクオリティ、そして多様性。異様に細分化されたジャンル(特に似通った性格を持つ隣接したジャンル)の間をぐるぐる回っている暇があったら、もっと異なった種類の、さまざまな音楽を聴いて楽しみたいと私は思う。

だから、例えばロックの世界で言うなら、「Aロック」、「A'ロック」、「A"ロック」の微細な違いを聴き分けることにばかり注力するような聴き方に対して、私はあまり共感を覚えない。

たしかに、「ロックの味わいの違いを知る」という目的のためには、ジャズやらクラシックやらを聴いている暇と金があったら、それらをロックを聴くことに集中投下したほうが効率的なのは間違いない。いまどきの言い方だと、「選択と集中」である。

しかし、そこから生まれるのは、「音楽ファン」というよりも「ロック・ファン」だろう。そこには、同種の味わいの微細な差異にのみ敏感な人間が出来上がるだけではなかろうか。それがミュージシャンの個性を味わうことにもつながるのかもしれないけれど、この種の聴き方は、この音楽という深い森の中の、ある一角だけを仔細に観察するようなものではないだろうか。

もちろん、それはそれで細やかな楽しみがあるに違いない。しかし、私は音楽の森のあちらこちらを訪ね歩き、さまざまな木々や草花、生き物を見て回りたいのだ。そのせいで、ある一角に絞って観察する人よりも、観察の仕方がいくぶん大雑把になっている、ということはあるかもしれない。

でも、そういう接し方のほうが、むしろ「ロックを聴く喜び」そのものを感じることができると思っている。例えば、ひとしきりクラシック音楽を聴いた後にロックを聴くと、「ああ、ロックっていいなあ」という感慨が沸き起こってくることがある。クラシックでもジャズでもない、ロックならではの楽しみ、それをしみじみと感じるのである。海外旅行から帰ってきた日本人が、味噌汁の美味しさを再発見するようなものだ。ロック&ポップばかり聴いていた昔の私は、こういう気分を味わうことがなかった。あくまでもそこにあったのは、上に書いたような「Aロック」と異なる「A'ロック」、または「A"ロック」の楽しみだけだった。

もちろん、他のどの音楽ジャンルよりもロックが好きならば、ロックばかり聴いてしまう気持ちは分かる。分かるのだけれど、せっかく古今東西の音楽に自在にアクセスできる時代に生きているのだから、やっぱり多種多様なものを聴いたほうが面白いではないか。

食べ物に例えて言うなら、現代の日本で「俺は一生、和食しか食べない!」と宣言し、それを貫くことに、何か意味があるのだろうか。もしそういう人がいたら、随分と変わった人だなあ、と思われてしまうだろう。実際には多くの日本人が、和食だけでなく、中華料理やイタリア料理、カレーにラーメン、エスニックといった風に、さまざまなジャンルの料理を食べている。それは、そのほうが単純に楽しいし、多種多様な美味しさを味わえるからだろう。

ところが音楽の世界はいささか様子が違うようだ。私の周りにも、性格が異なる様々なジャンルの音楽を楽しんでいる人は、さほど多くないように見える。ブログ、ツイッターなどネットの世界に目を向けても、ジャンルを絞り込んで聴いている人が多数派に見える。ブログなどではジャンルを絞り込んで書いたほうが読者を得やすいというのが定説だから、あえてそうしている人もいるのかもしれないけれど。

あれは誰だったか、「音楽ファンというのは保守的な人種だ」と言っていたのを思い出す。もしかしたら音楽ファンの心の中には、ひとつのジャンル、あるいは、かなり近接したジャンルだけを聴いて、他のものをシャットアウトすることを「気持ちいい」と感じるものがあるのかもしれない。私も高校生の頃、「俺は洋楽至上主義だ」なんて言っていて、邦楽しか聴かない人間をバカにしていたから、そんな音楽ファンの気分をなんとなく想像してしまうのだ。

このあたり、音楽というのは、少し宗教とか政治的主張に似ているような気がする。そこには何か人を意固地にさせるものがあって、「自分が、これを好きだとか良いと思っている感情は世界で唯一正しいもので、それを守るためには他の異なるものを否定しなければならない」という、排他的な感情を呼び起こすところさえあるのではないか。言い換えれば、それほどまでに人を夢中にさせ、盲目的とも言うべき愛を抱かせてしまうのが、音楽というアートなのだろう。

かく言う私だって、「自分はマルチジャンル・リスナーだから、世の中の多数派とは違い、もっと広い視野を持って音楽に接しているのだ」と自分を正当化しようとする気持ちがどこかにあって、こんな駄文を書き連ねているだけかもしれない。

そもそも私の場合、マルチジャンルと言ったところで、「ロック、ジャズ、クラシックが三本柱」という状態が、もうここ10年以上続いている。そこに例えばR&Bとかヒップホップとかエレクトロニカとか、だいぶ性格が異なるジャンルがグッと食い込んできたかと言えば、そんなことはない。三本柱以外のジャンルは少しだけ聴いているに過ぎないから、その意味では、やはり私も保守的な音楽ファンの一人に違いない。

だから、これからはロック、ジャズ、クラシック以外のジャンルをどんどん聴いていきたいと思っている。私は小学生の頃、YMOの大ファンだったから、もっとテクノとかエレクトロニックを聴いたら、今とは大きく違った楽しみが得られるような気がしている。ブルーズを全然知らないのも長年のコンプレックスだし、他にも聴きたい音楽がありすぎて困ってしまう。40代半ばの私は、あと30年くらいで死んでしまう可能性も結構あるのだから、今すぐ取り掛からないといけない。

というわけで、要するに私はジャンルをちまちま細分化するのが好きではない。だから我が家のNASの中身が、”Alternative”、”Indie Rock”、”Rock”、”Pop”とか細かく分かれているのを、”Rock/Pop”、”Dance/Electronic”、”R&B/Soul”、こんな感じでざっくり括る分け方に変えようかと思っている。

私が思うに、こういうことは、家にあるすべての音楽をファイルで管理することにした時点で、自分流のルールを決めておくのが一番だ。私みたいに途中でやり直すのは大変な手間がかかるから。これからネットワークオーディオとかPCオーディオとか呼ばれるものを始める人は、初めにタグの管理法をしっかり決めるのが絶対にいいですぞ!

by raccocin | 2015-02-11 19:39 | 音楽とオーディオが好き

イエスのコンサートへ またもや話はそれて、モテない半生を振り返ったり

もう2か月近く前の話(11/24)だが、イエスのコンサートに行ってきたので振り返っておこう。
何度もこのブログに書いてはいるけれど、私は子供の頃からレコード音楽が大好きだ。レコード音楽と言っても、それはアナログディスクに記録された音楽という意味ではなく、録音された音楽全般という意味でのそれである(残念ながらアナログプレイヤーは持っていない)。

もちろん、大人になって、自分の小遣いでコンサートに行けるようになってからは、生演奏も時々は聴いている。それでもやはり、どちらかと言うとレコード音楽のほうが好きで、だからコンサートには年にせいぜい3回くらいしか出かけない。20代半ばの頃にオーディオを始め、それなりに良い音で聴けるようになってからは、ますますレコード音楽にハマってしまった。

2014年だって、生演奏を聴きに出かけたのは、ブルーノート東京にジャック・ディジョネット・トリオを聴きに行ったのと、今回のイエスの2回だけである。

また、私がコンサートに比較的よく出かけていた20代から30代前半の頃は、クラシックやジャズを頻繁に聴いていたから、ロック・コンサートには全然行ったことがなかった。10代の頃は洋楽ロック・オンリーと言ってもいいくらい、どっぷりロック&ポップの世界に浸っていたにもかかわらずだ。

恥を承知で言うと、私が初めてロック・コンサートに行ったのは、なんと、36歳(2004年)のときだった。聴きに行ったのはアラニス・モリセット。その次に行ったのがアヴリル・ラヴィーン(2005年)、その次がポリスの再結成ライヴだ(2008年)。そして、その次が今回のイエスである。つまり、まだ4回目、かつ6年ぶりのロック・コンサートということになる(!)
30代半ば以降、私はジャズやクラシックとともに再びロックを頻繁に聴くようになったのに、それでもこの有様である。

せっかく行き始めたロック・コンサートから簡単に遠ざかってしまった理由は、初めて聴いたアラニスのコンサートが、PAが悪くて全然楽しめなかったのと、次のアヴリルも、まあ普通という感じだったので、そんなに頻繁にライヴを聴く必要もないな、と悟ってしまったせいかもしれない。私は昔から良い音のファンなので、良い音で楽しめないコンサートに、高い金を出したくないというのもあったかもしれない。

ただ、ポリスについては、音もなかなかだったし、とにかく演奏が最高で、オジサンとしては感無量のライヴだった。これはもう「格の違い」といったところだろう。
東京ドームという、あのバカでかい空間、バカでかい音量にもかかわらず、「耳をつんざく」という風情がまったくなかった。スティングの力強いベースからスチュワート・コープランドの澄み切った高音パーカッションの音に至るまで、ダイナミックなサウンドで最高のひとときを過ごさせてもらった。

まあとにかく、そんな風にロックの生演奏体験の乏しい私が書く感想ですから、以下きわめて低レベル、かつ音楽そのものよりもその周辺の話が多くなっておりますので、ご了承くださいませ。

さて、今回のコンサート、場所は東京ドームシティホール。当然のことながら初訪問である。1階部分をスタンディングにすると3,000人収容するという。この日の1階はふつうに座席があったので、2,000人ちょっとなのだろうか。客の入りは9割くらいだった。

会場に入るまでは、「お客さんたち、『青春よ、もう一度!』的なオッサンばっかりなんだろうなあ」と想像していたら、案外、若いファンも結構いた(若いと言っても20代。10代らしき人はあまり見当たらなかった)。でも考えてみたら、今はイエスのような70年代ロックも、クラシックとしてきちんと評価されているから、若い人でも聴く人はちゃんといるということなんだろう。

私が80年代ロックにハマっていた中高生の頃なんか、60&70年代ロックなど見向きもせず、ひたすら現世のヒットチャートを追いかけるという、きわめて刹那的な聴き方をしていた。それに比べたら、ちゃんとクラシック・ロックも聴いて、「古くても良いものは良い」と知っている若者はエラいと思う。

ただし、聴衆の性別は、もう圧倒的に男、男、男。
男率95%くらいはあっただろう。その意味では予想通りだった。なんとなく、男が多いのではないかという予感がしていたのだ。音楽そのものは綺麗でクールだし、もっと女性が聴いてもいい気がするけれど。

さて、これから書くことは私の偏見に満ちた意見ですので、それを了解いただいた上で読んでくださいね。

私が思うに、プログレというジャンル自体が女性に人気がないものなのかもしれない。
例えば、「私、キング・クリムゾンの大ファンなんです」という女性を見たことがない。もちろん丁寧に探せば、そういう女性も存在するのだろう。しかし、それはかなりの少数派ではないだろうか。

そもそも、プログレに限らず、長大だったり複雑だったりする音楽を好むのは、男が圧倒的な多数派だろう。女性というのは、そういう音楽をはなから求めていないような気がする。基本的に、「色っぽい」音楽が女性は好きなのではないだろうか。

ただ、長大で複雑でも、例えばマーラーの音楽などは、そんなに女性にモテない音楽でもなさそうだ。私は、マーラーの曲を演奏するコンサートにも何度か足を運んだことがあるが、聴衆が男ばかりだったという記憶は特にない。マーラーの音楽には、ある種の「色気」があるからではないだろうか。
交響曲第5番の有名なアダージェットなんか典型的だし、そうした、いかにもロマンティックな楽章以外でも、そこかしこにファンタスティックな香りというか色気が漂っていると思う。

ところが、同じ長大かつ複雑系のクラシック音楽でも、かたやブルックナーとなると、これは完全に男が好む音楽という気がする。ブルックナーの緩徐楽章にもロマンティックなものが多い。でも、それはあくまでもどっしりと構えた、スケール雄大で悠然たる風格を備えたもので、ちょっと「色気」とは違う気がする。
イメージとしては「男性的」で、威厳のある「老人」といったところ。話が理屈っぽくて長ったらしくて、でも整然とした感じはあまりなく、実を言うとその根本は情念的という感じだ。

男性的で威厳があると言えばブラームスもそうだと思うけれど、彼の音楽には、もっと女性も好みそうなセンチメンタリズムがあって、そこがブルックナーとちょっと違う気がする。それにブラームスの音楽は、ブルックナーほど、くどい長大さを感じさせない。理屈っぽくても話すことは筋が通っていて、おセンチなところもある中年男性、というイメージ。

ところでブルックナーと言えば、面白い文章があったので紹介しよう。
『クラシック悪魔の辞典』(洋泉社)という本に載っている文章だ。その題名通り、クラシック音楽に関する様々なキーワードを、ブラックジョークを交えて解説した本である。「クラシック音楽ファン」という項目の中に、ブルックナーが出てくる。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
クラシック音楽ファン[fan] P111
(1、2略)
3 というわけで、あまり異性に好かれることがない人。特に野郎の場合は最悪で、「ヘン、女なんか! オレにはヨッフム先生のブルックナーがあるさ」などと言って、少子化現象に拍車をかける人。実際、中国における人口爆発の背景には、クラシック音楽を禁じた文化大革命があるとも言われる。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

クラシックファンであれば、思わずニヤリとさせられるのではないだろうか。女よりも、ヨッフムが指揮したブルックナーのほうに強い愛情を感じる(感じざるをえない)という、そのコンプレックスと表裏一体化した情念が、なんというか。

まあ私も、そういう人を笑えるほどにはモテないのだけれど。いや、自分自身の名誉のために正確を期すなら、モテたいという気持ち自体、あまりない時期が長かったのである。これは別に冗談とか負け惜しみで言っているのではない。
高校、大学時代など、周りの学生が異性と一緒に歩いているのを見ても、まったく羨ましいと思っていなかった。特に大学のときはサークルも入っていなかったから完全に一匹オオカミ状態で、ほぼ常に単独行動をしていた。あの頃の私は、その自由な気分が快適きわまりなく、何の不足も感じていなかったのだ。

大学へ行って、帰りに家庭教師のアルバイトをして、家に着くとクラシック音楽を聴いて寝る。そんな浮世離れした生活を平気で4年間送っていた(就職活動も終わり、卒業する頃になって、自分は実にもったいない過ごし方をしたと遅過ぎる後悔をした)。

そうした私の実体験からしても、クラシック音楽には、異性とまぐわろうとする情熱を削ぐような去勢効果が、たしかにあるような気がする。だから、クラシック音楽を禁じられた中国人たちが、せっせと子作りに励んで人口爆発につながったというのは、私には、あながちギャグとも思えず、真実にすら聞こえるのだ(笑)

ちなみに、大学卒業後の私は、以前よりも異性と交際したいという気持ちを持つようになったけれど、モテていたとはお世辞にも言えないだろう。相手から先に惚れられたのは、40数年の人生で、片手で簡単に数えられるくらいである。ところが、そのいずれのときも、こちらはあまり乗り気になれず短期間で自然消滅してしまった。音楽鑑賞やオーディオに向ける情熱の半分すら、私は恋愛には向けられないのだ。恋愛至上主義の人から見たら、ほとんど「人間失格」に違いない。

だから、いつだったか、『行列のできる法律相談所』で、東野幸治が島田紳助から、「人を愛せない人間」と揶揄されるのを見たときには、他人事とは思えなかったくらいである(笑)
ちなみに私は若い頃、辰巳琢郎に似ていると言われたこともあるし、特に醜男というわけでもない。やはり私がモテなかったのは、人を心底から愛せなかったという、それが理由ではないか(これは自嘲気味に言っているのであって、100%真に受けないように)。

そんな私が今は家庭を持って、子供がカワイイなんて思いながら暮らしているというのは、まさしく奇跡としか言いようがない。

例によって話がそれた。しかも長々と。そう、イエスのことである。

今回のコンサートは、名盤の誉れ高い”Fragile”と”Close To The Edge”の完全再現、というのが目玉だった。私もそのことを知って、是非聴きたくなってしまったのだ。私はイエスの大ファンというわけでもないけれど、レコード音楽好きとしては、聴き馴染んだ名盤の各曲を、きちんとアルバム収録順に演奏してくれるという企画自体が最高だと思った。

そしてその演奏は、本当に素晴らしいものだった。彼らの音楽は、録音を聴いていても十分に素晴らしいのであるが、やはりスケールの大きな生音、それも爆音で聴くのは痛快そのものだ。ベースやキックの音もグイーンと下まで伸びていて腹の底にズシンと響くし、シンバルやキーボードの音にはキラキラと華やいだ輝きがある。ギターだって、こまめに楽器を変えたときの音色の変化も、こういう大きな会場としては十分に味わえたと思う。

今回再現された2つのアルバムを作ったときのメンバーで、今もバンドに在籍しているのは、ギターのスティーヴ・ハウとベースのクリス・スクワイアだけである。だから、真の意味での「完全再現」なのかと言うと、小さな疑問符を付けることができるかもしれない。しかし、その演奏はレコードと同じように、いや、それ以上に輝かしいものだった。スケール雄大かつ美しく緻密な音の絵巻が眼前で繰り広げられる様は、まさしく圧巻だ。

欲を言えば、これでヴォーカルのジョン・アンダーソンがいてくれたら、というところはある。現在、ヴォーカルを務めているジョン・デイヴィソンも、少しアンダーソンに似た声質で、だからこそ新しいヴォーカリストに選ばれたのではないかと思う。しかしアンダーソンの、あの孤高とも言える冴えた歌声には残念ながら及ばないだろう。とはいえ、デイヴィソンの歌声はスレンダーな中にも程よい甘さがあって、なかなか良い。私は存分に楽しませてもらった。

実はコンサートに出かける直前まで、出不精な私は、横浜から水道橋まで行くのが面倒くさいと思っていた。でも、やっぱり聴きに来て良かった、そう心から思いつつ、幸せな帰路に着いたのである。

by raccocin | 2015-01-18 18:57 | 音楽とオーディオが好き

給湯器がまた故障 それから話はそれて生演奏とオーディオのことに

楽しみにしていた3連休だけれど、初日の土曜の夜、給湯器が故障した。お湯が出なくなってしまったのだ。5月の連休のときにも故障して、半日がかりで直してもらったんだけどね。なんでこう、せっかくの連休のときに限って故障するのかと、腹立たしくなった。

午前中にライフバルのおじさんを呼んで、故障箇所を調べてもらったところ、修理に必要な部品を持ってきていないから、事務所に帰って部品があるか調べるという。もし在庫がなかったら、休みが明けてから取り寄せになる、なんて悠長なことを言う。
とんでもないと思った私は、もし部品の在庫がないようなら、今日店を開けている他のライフバルから部品を取り寄せるなりなんなりして、絶対に今日中に直すよう頼んだ。

どの箇所が壊れても対応できるように、あらゆる部品を常に確保しておくのが彼らの仕事ではないのか。
たまたま今は涼しいから1日くらい風呂に入らなくても大丈夫だが、もしこれが真夏だったらどうするつもりなのだろう。例えば金曜の夕方に給湯器が壊れて、週明けの月曜になるまで修理ができないとなったら、金、土、日と3日間も風呂に入れなくなる。クソ暑い最中なら、絶対に我慢できないだろう。だったら銭湯に行けとでも言うのだろうか。

修理が終わったら、こうした文句をネチネチ言ってやろうと思っていたのだが、ライフバルのおじさん曰く、あらゆる部品を常にストックしておくのは難しい、今日もわざわざ他の事務所まで部品を取りに行ってきたのだ、と言うから、なんとなくかわいそうになって、あまり強くは言えなくなってしまった。

結局、それは大変助かりました、感謝しますと礼を述べて帰ってもらった。しかしなんにせよ、せっかくの3連休の2日目が給湯器の修理で終わってしまったようなもので、思わず脱力してしまった。

あとは、明日のイエスのコンサートに行ったら、3連休もおしまいだと思うと、なんだか早くも寂しくなってきた。私はどちらかと言うと、生演奏よりも、録音された音楽を家で落ち着いて聴くのが好きなのだ。せっかくの休日なのに、わざわざ横浜から水道橋まで出かけなければいけないかと思うと、いくら良い音楽を聴くためでも、ちょっと気が重くなってしまう。

以前、私の知り合いの生演奏至上主義者(50代、男)が、「CD聴くのって楽じゃん。コンサート行くのって、もっとパワーいるじゃない」なんて言っていた。実際この人は大変熱心なコンサート・ゴーアーで、それ自体はもちろん結構なことなのだが、尋ねてみると、やっぱりちゃんとしたステレオを持っていなかった。

それだからこそ、「たくさんコンサートに通ってる俺って、CDばかり聴いてる奴よりも熱心な音楽ファン」みたいな底の浅い勘違いに陥ってしまうんだけどね。ちゃんとしたステレオさえ持っていれば、そんなことは言わずに済むのだが。録音された音楽を良い音で聴くことは、生演奏を聴くことに優るとも劣らない音楽体験を可能にするということが、ちっとも分かっていないのだ。

コンサートが好きか、オーディオを通して聴くのが好きかというのは、別にどちらかがより熱心な音楽ファンというわけではない。外食が好きか、家で食べるご飯が好きか、というような違いである。外食好きの人が、おうちご飯を大事にする人よりも食べることが好きだとは、決して言えないのと同じである。

ちゃんとしたステレオを持てば、家に居ながらにして、世界中の優れた音楽を良い音で聴くことが可能になる。それは音楽ファンの生活のクオリティを劇的に高めるものなのだが、どうもその辺をきちんと理解していない人が多そうだ。

生演奏を聴くことと、録音された音楽を聴くことの違いについては、いつか折を見て、それなりの分量のものを書いてみたいと思っている。

by raccocin | 2014-11-23 21:07 | 音楽とオーディオが好き


考えることが好きで、のんびり屋。5歳男児の父。音楽、映画、アート、コーヒー、それにワインを愛します。完全禁煙のお店も好き。


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