イエスのコンサートへ またもや話はそれて、モテない半生を振り返ったり

もう2か月近く前の話(11/24)だが、イエスのコンサートに行ってきたので振り返っておこう。
何度もこのブログに書いてはいるけれど、私は子供の頃からレコード音楽が大好きだ。レコード音楽と言っても、それはアナログディスクに記録された音楽という意味ではなく、録音された音楽全般という意味でのそれである(残念ながらアナログプレイヤーは持っていない)。

もちろん、大人になって、自分の小遣いでコンサートに行けるようになってからは、生演奏も時々は聴いている。それでもやはり、どちらかと言うとレコード音楽のほうが好きで、だからコンサートには年にせいぜい3回くらいしか出かけない。20代半ばの頃にオーディオを始め、それなりに良い音で聴けるようになってからは、ますますレコード音楽にハマってしまった。

2014年だって、生演奏を聴きに出かけたのは、ブルーノート東京にジャック・ディジョネット・トリオを聴きに行ったのと、今回のイエスの2回だけである。

また、私がコンサートに比較的よく出かけていた20代から30代前半の頃は、クラシックやジャズを頻繁に聴いていたから、ロック・コンサートには全然行ったことがなかった。10代の頃は洋楽ロック・オンリーと言ってもいいくらい、どっぷりロック&ポップの世界に浸っていたにもかかわらずだ。

恥を承知で言うと、私が初めてロック・コンサートに行ったのは、なんと、36歳(2004年)のときだった。聴きに行ったのはアラニス・モリセット。その次に行ったのがアヴリル・ラヴィーン(2005年)、その次がポリスの再結成ライヴだ(2008年)。そして、その次が今回のイエスである。つまり、まだ4回目、かつ6年ぶりのロック・コンサートということになる(!)
30代半ば以降、私はジャズやクラシックとともに再びロックを頻繁に聴くようになったのに、それでもこの有様である。

せっかく行き始めたロック・コンサートから簡単に遠ざかってしまった理由は、初めて聴いたアラニスのコンサートが、PAが悪くて全然楽しめなかったのと、次のアヴリルも、まあ普通という感じだったので、そんなに頻繁にライヴを聴く必要もないな、と悟ってしまったせいかもしれない。私は昔から良い音のファンなので、良い音で楽しめないコンサートに、高い金を出したくないというのもあったかもしれない。

ただ、ポリスについては、音もなかなかだったし、とにかく演奏が最高で、オジサンとしては感無量のライヴだった。これはもう「格の違い」といったところだろう。
東京ドームという、あのバカでかい空間、バカでかい音量にもかかわらず、「耳をつんざく」という風情がまったくなかった。スティングの力強いベースからスチュワート・コープランドの澄み切った高音パーカッションの音に至るまで、ダイナミックなサウンドで最高のひとときを過ごさせてもらった。

まあとにかく、そんな風にロックの生演奏体験の乏しい私が書く感想ですから、以下きわめて低レベル、かつ音楽そのものよりもその周辺の話が多くなっておりますので、ご了承くださいませ。

さて、今回のコンサート、場所は東京ドームシティホール。当然のことながら初訪問である。1階部分をスタンディングにすると3,000人収容するという。この日の1階はふつうに座席があったので、2,000人ちょっとなのだろうか。客の入りは9割くらいだった。

会場に入るまでは、「お客さんたち、『青春よ、もう一度!』的なオッサンばっかりなんだろうなあ」と想像していたら、案外、若いファンも結構いた(若いと言っても20代。10代らしき人はあまり見当たらなかった)。でも考えてみたら、今はイエスのような70年代ロックも、クラシックとしてきちんと評価されているから、若い人でも聴く人はちゃんといるということなんだろう。

私が80年代ロックにハマっていた中高生の頃なんか、60&70年代ロックなど見向きもせず、ひたすら現世のヒットチャートを追いかけるという、きわめて刹那的な聴き方をしていた。それに比べたら、ちゃんとクラシック・ロックも聴いて、「古くても良いものは良い」と知っている若者はエラいと思う。

ただし、聴衆の性別は、もう圧倒的に男、男、男。
男率95%くらいはあっただろう。その意味では予想通りだった。なんとなく、男が多いのではないかという予感がしていたのだ。音楽そのものは綺麗でクールだし、もっと女性が聴いてもいい気がするけれど。

さて、これから書くことは私の偏見に満ちた意見ですので、それを了解いただいた上で読んでくださいね。

私が思うに、プログレというジャンル自体が女性に人気がないものなのかもしれない。
例えば、「私、キング・クリムゾンの大ファンなんです」という女性を見たことがない。もちろん丁寧に探せば、そういう女性も存在するのだろう。しかし、それはかなりの少数派ではないだろうか。

そもそも、プログレに限らず、長大だったり複雑だったりする音楽を好むのは、男が圧倒的な多数派だろう。女性というのは、そういう音楽をはなから求めていないような気がする。基本的に、「色っぽい」音楽が女性は好きなのではないだろうか。

ただ、長大で複雑でも、例えばマーラーの音楽などは、そんなに女性にモテない音楽でもなさそうだ。私は、マーラーの曲を演奏するコンサートにも何度か足を運んだことがあるが、聴衆が男ばかりだったという記憶は特にない。マーラーの音楽には、ある種の「色気」があるからではないだろうか。
交響曲第5番の有名なアダージェットなんか典型的だし、そうした、いかにもロマンティックな楽章以外でも、そこかしこにファンタスティックな香りというか色気が漂っていると思う。

ところが、同じ長大かつ複雑系のクラシック音楽でも、かたやブルックナーとなると、これは完全に男が好む音楽という気がする。ブルックナーの緩徐楽章にもロマンティックなものが多い。でも、それはあくまでもどっしりと構えた、スケール雄大で悠然たる風格を備えたもので、ちょっと「色気」とは違う気がする。
イメージとしては「男性的」で、威厳のある「老人」といったところ。話が理屈っぽくて長ったらしくて、でも整然とした感じはあまりなく、実を言うとその根本は情念的という感じだ。

男性的で威厳があると言えばブラームスもそうだと思うけれど、彼の音楽には、もっと女性も好みそうなセンチメンタリズムがあって、そこがブルックナーとちょっと違う気がする。それにブラームスの音楽は、ブルックナーほど、くどい長大さを感じさせない。理屈っぽくても話すことは筋が通っていて、おセンチなところもある中年男性、というイメージ。

ところでブルックナーと言えば、面白い文章があったので紹介しよう。
『クラシック悪魔の辞典』(洋泉社)という本に載っている文章だ。その題名通り、クラシック音楽に関する様々なキーワードを、ブラックジョークを交えて解説した本である。「クラシック音楽ファン」という項目の中に、ブルックナーが出てくる。

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クラシック音楽ファン[fan] P111
(1、2略)
3 というわけで、あまり異性に好かれることがない人。特に野郎の場合は最悪で、「ヘン、女なんか! オレにはヨッフム先生のブルックナーがあるさ」などと言って、少子化現象に拍車をかける人。実際、中国における人口爆発の背景には、クラシック音楽を禁じた文化大革命があるとも言われる。
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クラシックファンであれば、思わずニヤリとさせられるのではないだろうか。女よりも、ヨッフムが指揮したブルックナーのほうに強い愛情を感じる(感じざるをえない)という、そのコンプレックスと表裏一体化した情念が、なんというか。

まあ私も、そういう人を笑えるほどにはモテないのだけれど。いや、自分自身の名誉のために正確を期すなら、モテたいという気持ち自体、あまりない時期が長かったのである。これは別に冗談とか負け惜しみで言っているのではない。
高校、大学時代など、周りの学生が異性と一緒に歩いているのを見ても、まったく羨ましいと思っていなかった。特に大学のときはサークルも入っていなかったから完全に一匹オオカミ状態で、ほぼ常に単独行動をしていた。あの頃の私は、その自由な気分が快適きわまりなく、何の不足も感じていなかったのだ。

大学へ行って、帰りに家庭教師のアルバイトをして、家に着くとクラシック音楽を聴いて寝る。そんな浮世離れした生活を平気で4年間送っていた(就職活動も終わり、卒業する頃になって、自分は実にもったいない過ごし方をしたと遅過ぎる後悔をした)。

そうした私の実体験からしても、クラシック音楽には、異性とまぐわろうとする情熱を削ぐような去勢効果が、たしかにあるような気がする。だから、クラシック音楽を禁じられた中国人たちが、せっせと子作りに励んで人口爆発につながったというのは、私には、あながちギャグとも思えず、真実にすら聞こえるのだ(笑)

ちなみに、大学卒業後の私は、以前よりも異性と交際したいという気持ちを持つようになったけれど、モテていたとはお世辞にも言えないだろう。相手から先に惚れられたのは、40数年の人生で、片手で簡単に数えられるくらいである。ところが、そのいずれのときも、こちらはあまり乗り気になれず短期間で自然消滅してしまった。音楽鑑賞やオーディオに向ける情熱の半分すら、私は恋愛には向けられないのだ。恋愛至上主義の人から見たら、ほとんど「人間失格」に違いない。

だから、いつだったか、『行列のできる法律相談所』で、東野幸治が島田紳助から、「人を愛せない人間」と揶揄されるのを見たときには、他人事とは思えなかったくらいである(笑)
ちなみに私は若い頃、辰巳琢郎に似ていると言われたこともあるし、特に醜男というわけでもない。やはり私がモテなかったのは、人を心底から愛せなかったという、それが理由ではないか(これは自嘲気味に言っているのであって、100%真に受けないように)。

そんな私が今は家庭を持って、子供がカワイイなんて思いながら暮らしているというのは、まさしく奇跡としか言いようがない。

例によって話がそれた。しかも長々と。そう、イエスのことである。

今回のコンサートは、名盤の誉れ高い”Fragile”と”Close To The Edge”の完全再現、というのが目玉だった。私もそのことを知って、是非聴きたくなってしまったのだ。私はイエスの大ファンというわけでもないけれど、レコード音楽好きとしては、聴き馴染んだ名盤の各曲を、きちんとアルバム収録順に演奏してくれるという企画自体が最高だと思った。

そしてその演奏は、本当に素晴らしいものだった。彼らの音楽は、録音を聴いていても十分に素晴らしいのであるが、やはりスケールの大きな生音、それも爆音で聴くのは痛快そのものだ。ベースやキックの音もグイーンと下まで伸びていて腹の底にズシンと響くし、シンバルやキーボードの音にはキラキラと華やいだ輝きがある。ギターだって、こまめに楽器を変えたときの音色の変化も、こういう大きな会場としては十分に味わえたと思う。

今回再現された2つのアルバムを作ったときのメンバーで、今もバンドに在籍しているのは、ギターのスティーヴ・ハウとベースのクリス・スクワイアだけである。だから、真の意味での「完全再現」なのかと言うと、小さな疑問符を付けることができるかもしれない。しかし、その演奏はレコードと同じように、いや、それ以上に輝かしいものだった。スケール雄大かつ美しく緻密な音の絵巻が眼前で繰り広げられる様は、まさしく圧巻だ。

欲を言えば、これでヴォーカルのジョン・アンダーソンがいてくれたら、というところはある。現在、ヴォーカルを務めているジョン・デイヴィソンも、少しアンダーソンに似た声質で、だからこそ新しいヴォーカリストに選ばれたのではないかと思う。しかしアンダーソンの、あの孤高とも言える冴えた歌声には残念ながら及ばないだろう。とはいえ、デイヴィソンの歌声はスレンダーな中にも程よい甘さがあって、なかなか良い。私は存分に楽しませてもらった。

実はコンサートに出かける直前まで、出不精な私は、横浜から水道橋まで行くのが面倒くさいと思っていた。でも、やっぱり聴きに来て良かった、そう心から思いつつ、幸せな帰路に着いたのである。

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by raccocin | 2015-01-18 18:57 | 音楽とオーディオが好き


日々の想いをつらつらと。音楽、映画、アート、コーヒー、それにワインを愛します。


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