『バードマン』を観て思うこと

先日、映画『バードマン あるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡)』を観てきた。それこそ公開終了間際の時期に、慌てて映画館に駆け込んだ。というのも、たまたま買った『ポパイ』誌上で、菊地成孔がこの作品を絶賛していたからだ。

菊地氏によると、この作品は「映画史を更新させるような大傑作」であり、「アートとエンターテインメントを見事に融合したネクストレベルの映画」だという。私は特に菊地成孔のファンでも何でもないけれど、年間200本以上(!)映画を観ているという人がそこまで言うのだから、まあ観ておいて損はなかろう、いや、観ておかないと後悔するのではないかという予感がした。私は基本的にへそ曲がりだが、その道に詳しい人の言うことを素直に聞く気持ちはちゃんと持っているのである(笑)

さて、肝心の感想だ。観終わって感じたのは、これは一筋縄ではいかない作品だな、ということ。いろんな角度から楽しめるようになっていて、2度3度と繰り返し観たくなるタイプの映画。と言っても、1度観ただけでは理解できないから2度観たくなるというのとは違って、1度目には見逃していた面白さが絶対にあるはずで、それを今度は見つけたい、というような気持ちになるのだ。

この作品、タイトルだけ見る分には小難しいアート系の映画のような印象だし、実際、十分に芸術性も持っているのだけれど、一方で娯楽性もしっかり確保されていて、そこはやっぱりハリウッド。観ている最中から、「やっぱりハリウッドってスゲエなあ、こんな映画作っちゃうんだから」と私も感心しきりだった。

感心と言えば、あちこちで言われているこの映画の特徴のひとつに、カメラの長回しがある。「全編1カット撮影かと見紛う」という触れ込みで、多くの映画ファンは、そのことに大いに感心しているらしい。たしかに、場面転換するときも、場面と場面はシームレスにつながっていく。

しかし、正直に告白すると、私はこの長回しには興味があまり湧かなかった。他の映画とは違った、とても高度な技術を用いているのだろうなあとは思うけれど、長く回せば回すほど良い映画になるというわけでもあるまい。まあ、これは単に私が撮影技術に興味が薄いというだけで、本当はスゴいことなんでしょうけど。

余談だが、思わず笑ってしまったのが大島優子のツイートだ(4/29)。
「1シーン1カットで続いていくようなカメラワークに一息つく暇なく終わりました」なんて言っている。あの〜大島さん、「1シーン1カット」じゃなくて、「全編1カット」なんですけど…。「1シーン1カット」だったら、他の映画でも探せばたくさんあるでしょう(笑)

さて、撮影技術にはさほど感心しなかった私が、一体この映画のどんなところに感心したかというと、なんと言っても役者と脚本である。

当たり前だけど、特に主役のマイケル・キートンが素晴らしい。私はこの人に対して「昔バットマンをやっていた人」という印象しか持っていなかった。でも本作での彼の演技は、どこか淡々としていながらも、主人公の揺れ動く心情をリアルに演じていて、こんなに良い役者さんだったのかと、自らの不明を恥じたところである。まさしく、無知がもたらす予期せぬ奇跡、というか感動である。

他には主人公の娘を演じていたエマ・ストーンも魅力的。すごく目力があるのに、うっとうしくなくて可愛いのだ。こんな娘にマネジメントされるお父さんは幸せである。エドワード・ノートンと簡単にヤッてしまったのはマイナス10点だが(笑)

そのエドワード・ノートンも、自分の才能に自惚れまくりのイヤミな伊達男を好演、ナオミ・ワッツはいつもどおりだけど上手い。他にも、出てくる役者さんがみんな個性的で、一癖ある演劇人たちの姿を活き活きと演じている。

そして脚本である。この作品には、思わず暗唱したくなるような魅力的な台詞が満載だった。うろ覚えで申し訳ないけれど、いくつか印象に残ったものを挙げさせてもらおう(あくまでもうろ覚えなので、一字一句脚本どおりではありません)。


主人公の娘
「ブログもツイッターもフェイスブックもやらない。パパは世間から見たら存在しないのと同じよ」

主人公
「どんな人生経験を積めば批評家になれるのかな。あんたは批評するだけ。何の代償も払わない。俺は(fu○kin')役者だ。この芝居にすべてを賭けてる」

主人公
「このクソ批評を、しわしわのケツの穴に突っ込んどけ」

演劇批評家
「私は、あなたたち映画人が大嫌いなのよ。週末の興行成績だけが評価でしょ」

バードマン
「観客が求めてるのは血とアクションだ。しゃべりまくる重苦しい芝居じゃない」


他にも面白い台詞がたくさんあったはず。相手を罵るときの言葉の豊かさなども楽しい。村上春樹が以前、日本語は人を罵る言い方が少ないから、外国語の小説を訳すときに困る、というようなことを書いていた。その点、この作品は人を罵ったり揶揄したりする言い方も気が利いていて、楽しめてしまう。

さて、この作品に通底しているテーマは何かと言えば、「娯楽か、芸術か」という、おそらく映画の世界で働く人たちは常に考えているであろう大命題だろう。

主人公は、自らが役者を志すきっかけにもなったレイモンド・カーヴァーの小説を舞台化し、そこに全精力を注ぎ込もうとする。しかし、自らが過去に演じたバードマンの幻影が頻繁に現れて、もっと大衆が喜ぶ娯楽映画に出ろと、主人公の耳元でささやく。

カーヴァーの小説を基にした演劇という「芸術」と、バードマン=映画という「娯楽」との間で、主人公の心は揺れ動く。それは、ハリウッドの映画人たちの姿そのものではないのだろうか。

上に挙げた演劇批評家の台詞のように、週末の興行成績だけで評価されることなど不本意だと思いつつも、娯楽映画を作って観客を大いに楽しませたいという気持ちもある。「しゃべりまくる重苦しい芝居なんかより、映画のほうが楽しいぜ」という自負。そして、「映画は芸術にもなれるのだ」という誇り。

この作品は、「娯楽と芸術」という一見相反するようにも思えるものを、いかに高いレベルで両立させるかという実験であるように感じられた。もちろん、そうした実験は今までにもたくさんあったのだろう。しかし、その困難な実験が、これほどの大成功を収めたことは、きっとなかったに違いない。菊地氏の「アートとエンターテインメントを見事に融合したネクストレベルの映画」という言葉は、まさしくこの映画の特長を端的に表している。

ところで、終盤、舞台の上でトランスフォーマーやスパイダーマンの着ぐるみを着た人物が、おどけたように踊るシーンがあった。イニャリトゥ監督がそれらの娯楽映画をバカにしているように見えなくもないシーンだったが、私はそうは受け取らなかった。むしろあれは、「これも映画、あれも映画」という、映画への大らかな愛情表現に思えた。

主人公がバードマンとして大空を舞う(スクリーンには映らないが)というエンディングは、辛口の批評家に舞台を絶賛されてもなお、映画人としての誇りを胸に生きていく主人公の決意の現れだろう。そして、イニャリトゥ監督から、映画づくりに携わるすべての人々へ向けて送られた、温かいエールなのだとも思う。


* まだ書き足りない気がするので、適宜追記するかもしれません。

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by raccocin | 2015-05-24 12:34 | 映画にアートにいろいろ鑑賞


日々の想いをつらつらと。音楽、映画、アート、コーヒー、それにワインを愛します。


by raccocin

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