ふたりのシュトラウス ~リヒャルトとヨハンのこと~

ずっと前の話だけれど、私は一時期、映画の字幕翻訳家を目指していたことがあった。と言っても勉強したのは、ほんの数か月。字幕翻訳の学校にも通いながら勉強したが、とても自分などができる仕事ではないと気付き、すぐに諦めてしまった。

その時分に買ったのが、DHCが発行していた「完全字幕シリーズ」の本だ。DHCというと、今ではすっかり化粧品やサプリメントの会社として知られている。しかし実はDHCというのは、なんと「大学翻訳センター」の略なのである。知らなかったでしょ。元々この会社は、大学の研究室相手に翻訳をしてあげていた会社なのである。なんで化粧品やサプリメントに手を出したのかは知りませんけどねえ…(笑)

で、今でも翻訳事業は細々と続けているようで、この「完全字幕シリーズ」もその一環なのだろう。このシリーズには、洋画の脚本が丸ごと載っていて、その日本語対訳、それに映画の字幕が掲載されているのだ。映画で生きた英語を勉強しようというわけですね。

私は、その中の『めぐりあう時間たち』(原題 ”The Hours”)という本を買ってみた。ニコール・キッドマン、ジュリアン・ムーア、メリル・ストリープという豪華な出演陣で、たまたま私はDVDも持っていた。正直、観ていても全然ハッピーな気分になる映画ではないのだが、こういう文芸色が濃くてダークな映画に浸りたい気分だったのかもしれない。

で、読み進んでいくうちに、私はこの本の中に誤りを見つけてしまった。物語の中盤で、メリル・ストリープ演じる女性がパーティで皆にふるまう食べ物を準備するシーンがある。そのとき彼女がキッチンで聴いている音楽が、R.シュトラウスの『四つの最後の歌』の3曲目、「眠りにつくとき」”Beim Schlafengehen”である。

この箇所について脚本中では、”one of Strauss’s last songs”とある。ところがDHCの対訳では、それは「シュトラウスの晩年の作品群の1曲」とあり、なんと作曲家は「ヨハン・シュトラウス」と説明されているではないか(!)

長年クラシック音楽を聴いてきた私は、「えっ、マジ?」と笑ってしまった。この間違いは是非、正してあげなければいけないとおせっかいながら思ったのである。ましてや『四つの最後の歌』は私も大好きな作品だ。このまま放っておくわけにはいかない気分になった。

では参考までに、そのときDHCに送った訂正依頼メールをご紹介しよう。人様の昔の間違いをネットでさらすのはどうかという気もするけれど、R.シュトラウス好きな方には、ちょっとは楽しんでいただけるのではないかと思う。

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はじめまして。
貴社の完全字幕シリーズ『めぐりあう時間たち』を先日購入した者です。
私は、最近になって字幕翻訳の勉強を始めたこともあり、楽しく拝読しております。
しかし、本書の一部に誤りを見つけましたので、念のためご報告します。

172 ページのシナリオ原文5行目に 'one of Strauss's last songs' とあり、
対訳では「シュトラウスの晩年の作品群の1曲」、チェックポイントの2. では作曲家が
「ヨハン・シュトラウス」と説明されています。
しかし、ここでいう 'one of Strauss's last songs' とは『Richard Strauss
(リヒャルト・シュトラウス)のFour Last Songs(四つの最後の歌)の中の1曲』です。
『四つの最後の歌』という作品の3曲目が使われています。

ちなみに英訳歌詞の中には
'Now all my senses want to sink themselves in slumber.
And the soul unwatched, would soar in free flight'

とあります。どことなく死の影が漂う歌詞を持つこの曲が選ばれているのも、
意味があることなのでしょう。
 
エンドクレジットには作曲者と曲名が明記されていますから、クラシック音楽に
詳しくなくても、この曲に興味を抱いた人に対しては、いずれ露見する誤りです。
インターネットで調べれば簡単に分かることだと思うのですが……。試しにアマゾン
のサイトで、 'jessye norman strauss' と入力して検索してみましたが、すぐに見つかりました。
今回のケースは、'Strauss' と見て「ああ、知ってる知ってる、あのワルツ王でしょ」
と早合点したとしか思えません。

蛇足ですが、クラシック音楽の世界でシュトラウスと言えば、リヒャルトのほうが
遥かにメジャーで、良く演奏されます。ヨハンのほうは、ニューイヤーコンサートなどの、
華やかな雰囲気が求められる「お祭り」で演奏されることが多い人です。

いずれにせよ、このような誤りを見ると、よく調べないで憶測で処理された箇所が
他にもあるのではないかと、その本全体に疑いを持ちながら接することになります。

以上、一翻訳家志望の長~い苦情でした。
今後も、この完全字幕シリーズに期待しています。
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この後、DHCからは再版の際に訂正する旨、丁寧なお礼のメールをもらった。訂正された新しい版を確認はしていないけれど、ちゃんと正しい説明になったのは、いいことだと思う。リヒャルトとヨハン、ふたりのシュトラウスさんのためにもなったのではないだろうか(笑)

正直、この誤りには、やむをえない部分もあるとは思う。普通、世間に「シュトラウスって作曲家、知ってますか?」と尋ねたら、仮に知っていたとしても、ほとんどの人は「ヨハン・シュトラウス」と答えるだろう(そして、同じ名前の父子2人がいることは知らない)。かくいう私だって、リヒャルトのほうのシュトラウスの名を知ったのは、ちゃんとクラシック音楽を聴き始めた後のことだったし。

さて、最後に「私的R.シュトラウス・ベスト3」を挙げておこう。

1 『四つの最後の歌』
2 『メタモルフォーゼン』
3 『ドン・ファン』

『ツァラトゥストラ』も『死と変容』も捨てがたいけれど。無理矢理3つ選ぶならこれかな。

by raccocin | 2015-10-18 16:37 | 音楽とオーディオが好き


日々の想いをつらつらと。7歳男児の父。音楽、映画、アート、コーヒー、それにワインを愛します。


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